日記のなかの文学たち  映画編

洋画系

いま話題の映画、『ヒトラー〜最期の十二日間〜』観てきました。

新聞などでも評価の高い作品で、たしかに見ごたえはありました。
ドイツ人自身が、自らの最大の「汚点」であるヒトラーのことを真正面から取り上げた、
ということは、よくやったなぁと感じます。

ヨーロッパ各地を侵略し、世界征服をたくらみ、600万人以上のユダヤ人を虐殺したという二十世紀最大の極悪人。
戦争映画では必ず「悪役」のトップですが、この映画に登場するヒトラーは、
女性秘書に妙に優しい小市民の好々爺、しかし情勢が悪化すると部下を信じられず、
すぐに感情的になる小心者で猜疑心の強いただの人といった意外な姿です。
ヒトラーの「人間としての姿を描く」というのが、この映画の売りです。

映画はヒトラーの「最期」に焦点をあわせて、それを徹底的にリアルに描いた作品で、
それはそれですごいのですが、それならば、なぜその崩壊に至る以前の「栄光」の日々をまったく描かないのか。

たとえば、ヒトラーの巧妙なパフォーマンスや演説によって人々が「陶酔」していく姿とか、
世界を「征服」していくときの人々の「高揚感」とか、ようするに多くのドイツ人たちが、
ヒトラーの説く民族の誇りや浄化とかの言葉を受け入れて、ついつい「盛り上がってしまった」、
その異常な姿をぜんぜん描かないで、ただ「没落」のときだけを悲劇的に描き、
結局はヒトラーも、哀れな小心者にすぎなかったんだ、という結末は、なんか狐に摘まれたみたいな感じです。

なぜ多くの人々が彼に共感したのか、その「秘密」です。映画はそこへの切り込みが浅い感じがします。

映画のパンフレットの三島憲一氏は、この映画は「第三帝国における「政治の美学化」(ベンヤミン)が、
実は小市民の誇大妄想という、ロマン主義の最終形態であること」を明らかにした、と。

なるほど、そう言われれば、その通りです。しかし「小市民の誇大妄想」という視点だけでは、
「ロマン主義」は理解できないでしよう。ちなみに日本における「日本浪漫派」については、
橋川文三『日本浪漫派批判序説』という本があります。

ようやく『スターウォーズ エピソード3』を観ました。

オリジナル三部作(エピソード46)以来のファンにとって、
ここからあの4以降の物語が始まるんだと思うと、なんとも感慨深い「終結」でしたね。

まぁ、内容に関しては、文句をいえばいくらでも文句ありますけど、
なんといっても観ていて、作り手たちの作品にたいする偏愛ぶりとか、
作っていて楽しくてしょうがない…みたいな快楽がこちらも伝わってきて、
僕は基本的にそういう作られ方の映画(小説とかも)が好きなので、けっこう楽しみました。

でも、やっぱり「魔術研究者」の僕としては、フォースのダークサイドこそがもっとも強大な力をもつのだというならば、
アナキンが、究極のダークサイド=「死者を蘇らせる力」を身に付けてパドメを蘇生させ、
しかし、そのときには彼自身は暗黒面の奥深くに入ってしまっていた…なんていう展開をしてくれるともっとうれしかったんですけど。

それにしても、ジェダイマスター・ヨーダを見ていると、
なんか「いざなぎ流太夫」のマスター・中尾計佐清さんのことを思い出してしまうですね。
まぁ、これまったく僕の個人的な思い入れですけど。

夜中、ひとりでビデオ鑑賞。ヴィスコンティ監督の『ルートヴィヒ 神々の黄昏』。
四時間半の大作です。「バヴァリアの狂王」とか「童貞王」と呼ばれた十九世紀ドイツのルートヴィヒ二世の物語です。

僕がはじめてこの映画観たのは十数年前。それからビデオを買って手元に置きながら、
なかなか通して観る機会(というか、よーし観るぞ、という気合)がなかったのですが、
ついに今夜四時間半の長丁場を貫徹しました。

いゃ〜、ほんとに震えるほど「美しい」です。後半はややだれてきますが、
よくまぁ、こんな映画作ったなぁとあらためて感嘆。

王とその宮廷だけが描かれ、一切「民衆」は登場しない世界。
戦争のことは、ただ「伝聞」や「情報」だけ。ほんとにルートヴィヒという王の「官能」や「主観」の世界だけが濃密に流れていく。
こういう、「デカダンス」の世界、けっこう好みなのでした。

「たちはな亭」の掲示板情報によれば、四時間半の「完全版」は、じつは監督自身の編集ではなく、
周りのスタッフのよる編集なので作品の質が変わっている云々とのことでした。
僕が今夜観たのは「完全版」でしたが、たしかに昔観たときと印象が違っていました(とくに始まりのシーンとか)。

映画観終わって外見たら、なんと雪が降り積もっていました。

 

お昼ご飯のあと、大学に行ってあれこれ仕事をすませ、
三時すぎに三条河原町に出て、映画観てきました。サム・メンデス監督『ジャーヘッド』。

 

湾岸戦争をひとりの海兵隊員の視点から描いた作品で、なかなかの秀作です。戦う相手と出会えない、戦闘場面のない戦争映画…。

とくに印象に残ったのは、ワーグナーの音楽をバックに、戦闘ヘリがベトナムの村を焼き尽くす、
あの有名な『地獄の黙示録』のシーンを見ながら、海兵隊員たちが「殺せ〜」「やれ〜」と言って盛り上がっていく場面。

ベトナム戦争を痛烈に批判した映画も(もちろん『地獄の黙示録』は、単純な反戦映画ではないのですが)、
兵士たちにとっては、戦意高揚の道具になってしまう。そういった戦争映画のアイロニーみたいなものを暗示しているのでした。
ですから、この作品は、戦闘シーンで盛り上がることのできない戦争映画となっているわけです。

 

夜は食後に、テレビで、こてこてのフランス映画を見ました。ブノア・ジャコ監督『イザベル・アジャーニの惑い』。

 

内容はイマイチでしたが、きれいなフランス語と、ナポレオン時代設定の貴族たちの館や森、
池などの景色などが、よかった。突然、こういうフランス映画が見たくなるのでした。

 

食後はテレビでスペイン映画『キャロルの初恋』。
スペイン内戦時代の淡々とした少年・少女たちの物語。思わず泣けてしまう。

 

 

新聞を見たら、『ダヴィンチ・コード』が、なんと今日が最終日。
小説を読んで、けっこう面白かったので映画はチェックしていたんですが、
その後の評判を聞くと、「そこそこ」「駄作」といった、あんまり芳しくない情報。

ですから、まぁ、あまり期待はせずに、話のネタにということで、
夜の最終回(というか、もう一日一回しか上演していない)を観てきました。

 

期待しなかったので、思っていたよりは「悪く」はなかった。

 

なんといって、舞台となった場所が映像として見られるのは、けっこうでした。
映画は、ストーリーを組み立てるのがせいいっぱいで、
せっかくの役者たちの個性(とくに『アメリ』のオドレイ・トトゥ)とかが生かされていないのが惜しいですね。

 

 

夜はDVDで『雨の朝パリに死す』。ほんとエリザベス・テイラーはきれいだったんですね。
まるで昔の日本のメロドラマみたいな物語でした。

 

 

夜中、ワイン飲みながら映画鑑賞。オードリー・ヘプバーン『シャレード』。
最近、「名作映画」が五百円でDVD化されていますが、そのシリーズです。とっても、洒落た「スパイ映画」でした。

 


夜はDVD鑑賞。昨日、梅田駅で三本、買ってきたDVDのうち、今夜はトミー・リー・ジョーンズ『追跡者』。イマイチでした。

昨夜は『ボーン・スプレマシー』を見ました。『ボーン・アイデンティティ』の続編。
前作もとてもよかったのですが、二作目も、最高のおもしろさ。劇場で見なかったことをとても後悔。

僕はけっこうこういう、アクション物が好きです。『ランボー』とか『ダイハード』とかはお気に入り。
何回でも観て、楽しんでいます。『ボーン・アイデンティティ』もそうですが、
基本的に「組織に裏切られる」「ひとりで孤立して戦う」というシチュエーションが好きです。

 

夜中はDVD鑑賞。スピルバーグ監督『ミュンヘン』。

ミュンヘンオリンピックで起きた、イスラエル選手への「テロ事件」を題材に、
イスラエルの暗殺者たちがアラブの「テロリスト」へ復讐をしていくドラマ。
「実話」にもとづくものということですが、なんとも暗い話でした。
アラブ側のことがきちんと描かれていないと、誰もが不満に思うのでは。

帰宅後、夜は「口直し」に買ってきたDVD『イーオン・フラックス』。
低予算のカルト系のSF映画。こちらは予想以上に面白かった。劇場で観なかったのを後悔。

 

 

夜の仕事はお休みでDVD鑑賞。オリバー・ストーン監督『天と地』(1986)。

アメリカ兵と結婚したベトナム女性の人生を通して「ベトナム戦争」を描くという作品。
公開直後に観た作品で、そのときの印象ではなんか「薄味」という感じでしたが、
今回ふたたび観て、その印象は変わりませんでした。

ただ「特典」に入っていた、カットされた未公開シーンが四十分ちかくあり、
それを見たら、もしかしたら「完全版」はけっこういい出来になったのかも、と感じました。
ベトナムの農村の描き方など、公開版ではたんなる美しい「イメージ」ばっかりが先行しているのですが、
カットされたシーンでは民衆の生活や習俗や信仰などもそれなりに描かれているのでした。

アメリカ兵との結婚後にもっと焦点をあてて、
ベトナムの悲惨さとアメリカの戦争帰還兵のその後の生活の「悲惨さ」をさらに深く描きこむことができたら、
この作品はけっこうすごいものになったのに。

夕方から二条駅に出て、映画観てきました。

一部で話題のクリント・イーストウッド監督『父親たちの星条旗』。
硫黄島の「激戦」をアメリカ側から描いた作品です。まもなく日本側から描いた続編も公開されます。

映画は、あの有名な丘の上に星条旗を掲げる兵士たちの「その後」を描くものですが、
けっこう構成が凝っていて、ちょっとわかりにくいところもありました。
でも、全体的には、たぶん、こんな感じの映画だろうなぁと思っていたとおりの作品でした。

けっして悪い出来ではないのですが、予想以上の「感動」というほどでもありませんでした。
まぁ、イラク戦争に突入し、それを熱狂的に支持した「アメリカ国民」への反省・批判ということが込められているのかもしれません。
その意味では、「よく作った」といえますね。日本ではぜったいにこういう「冷静」な戦争映画は作れません。
「好戦的なアクション物」か、お涙頂戴の「感動物」か、感情的な「反戦物」か、そういうのとは違うことはたしかです。

こうした映画を作った監督が、さて、「日本側」の兵士や将校たちをどう描くか。続編には興味津々ですね。

僕はひとりで夕方から映画。クリント・イーストウッド監督『硫黄島からの手紙』観てきました。
『父たちの星条旗』の続編。今度は日本側から描いた「硫黄島の激戦」の顛末です。

前作の独特な「暗さ」や「複雑」をこちらでも期待したのですが、意外とふつうの戦争映画になっていました。
やっぱり日本人の俳優が演じるからなのか…。だがら、ふつうの戦争映画としてみれば、
前作より「面白い」かもしれません。観ている観客も、みんな「感動」しているようでした。

でも、なんで「日本人」の側を描くと、「お涙頂戴」ふうのふつうの「戦争映画」になってしまうのか…。

さらにもっと気になるところがあります。

この作品の主人公たちは「アメリカ」に住んでいたことがある「親米派」。というのは、
戦争のときに「まとも」だったのは親米派、アメリカ的な「民主主義」「自由主義」を
それなりに理解している人物たちだったという「結論」になるわけですね。な〜んだ、アメリカは肯定されるのか。
これでほんとに「日本側」から描いているのかという不満を感じます。

「狂信的」に玉砕方針を打ち出していく将官たち(作品ではそれは「おろかな奴」と描かれるわけですが)の心情や論理に
もっと切り込むことができないと、あの戦争の「日本人」側を描いたとはいえないのでは…。
それがきちんと描かれないことが、「ふつうの戦争映画」という感想・批判につながるのでした。

といろいろ文句をつけましたが、でも、今の日本の映画界では、ぜったいにこうした「硫黄島」の映画は作れないでしようね。

深夜はBS2で、ヴィスコンティ監督の『熊座の淡き星影』を観ました。

イタリアのヴォルテルラという中世の面影を残す城砦都市を舞台に、
上流階級の兄妹、夫婦、親族たちの物語。
手元にあった『ヴィスコンティ集成』(フィルムアート社)に載っている「ストーリー・解説」を読んでから観たのですが、
映像となった物語と文字化されたストーリーとの印象がぜんぜん違いました。
これは、やっぱり映画=映像作品のすごいところですね。

ヴィスコンティといえば、なんといっても『ルードウィヒ・神々の黄昏』ですね。
『熊座…』も、兄妹の「近親相姦」を匂わせる物語の展開が、夜の城砦都市のシーンに溶け込んでいて、なかなか面白かった。

映画が終わって、外を見たら、うっすらと雪が積もっていました。

お昼ごはんを食べてから、僕はひとりで、大晦日恒例の映画。
二条駅のTOHOシネマズで、『007 カジノ・ロワイヤル』を観てきました。

最近の限界まで達した「荒唐無稽」さから、「リアル」な007へ戻そうという作品。
「カジノ・ロワイヤル」の原作にそったところは、なかなか面白かったです。
とくに、あたらしいボンド役(ダニエル・グレイグ)が、けっこう「悪人」ぽい顔つきで、よかった。

それにしても大晦日に007を観るなんて…。子供の頃、大晦日に父親につれられて観にいった映画は、
今思い返すと、007シリーズが多かったのでした。

今年最初の映画は『上海の伯爵夫人』。四条烏丸の京都シネマで観てきました。
監督は『日の名残り』のジェームズ・アイヴォリー。

革命で没落したロシア貴族の伯爵夫人(ナターシャ・リチャードソン)と、
テロによって家族を失い、自らも失明した元アメリカ外交官(レイフ・ファインズ)が、
〈魔都〉上海で出逢う。元外交官は「白い伯爵夫人」という名のバーを開き、閉じられた世界に生きようとする。
だが、やがて日本軍が侵攻してきて、ふたりの運命は…。

そこに謎の日本人(真田真之)がからむのですが、シチュエーションを書いただけでも、僕好みの映画ですね。

この作品、脚本(原作)は、『日の名残り』のカズオ・イシグロ。
英国籍の日本人ですが、彼が子供時代に祖父から聞いた、上海時代の話がもとになっているそうです。
こういう設定だと、「日本軍」はたんなる悪者としか描かれないのですが、
真田真之が演じた「謎の日本人」は、それこそ中国革命に暗躍する北一輝みたいなイメージで、
へたをすれば戦争と悲恋といった薄っぺらな作品になってしまうところを、物語の奥行きを作ってくれました。

 「白い伯爵夫人」のバーで演奏される古い時代のジャズや、混沌とした上海の都市の様子など、
とても丁寧で趣味的な描かれ方がいいですね。あざといラブシーンとかは一切ない、
シンプルで上質なメロドラマ。結末も、お涙頂戴の悲劇にならないところも、よかったです。

なんか久しぶりにいい映画観たなぁという、うっとりした気持ちにさせてくれました。
こんな感じの小説も読みたくなります。

お昼ごろに北大路ビブレに行って、買い物。そのあと、四条烏丸の京都シネマで映画鑑賞。
スティーヴン・フリアーズ監督『ヘンダーソン夫人の贈り物』を観ました。

第二次世界大戦の頃、亡夫の遺産でイギリスの大衆劇場を買い取った世間知らずの上流老婦人が、
ユダヤ人の雇われ支配人とともに、イギリスではじめて「ストリップ」を始める物語。

老未亡人は、最近の007シリーズでボンドの上役「M」を演じているジュディ・デンチ。
雇われ支配人役はボブ・ホスキンス。最初は対立し、喧嘩ばかりしているふたりの心の交流とともに、
戦争中、唯一劇場を閉鎖しなかったウインドミル劇場の踊子たちをめぐる「人情ばなし」です。

当時のイギリスでは「ストリップ」はご法度。裸の女性はただ額縁のなかで静止しているだけという、
戦後の浅草の劇場みたいな様子です。最近、荷風の日記を読み返していたので、
なんか映画のムードと荷風が重なってきたりして…。

ちょっとストーリー展開が雑な感じがしましたが、けっこう楽しめ、
ほろりとさせてくれる上質な仕上がり。『上海の伯爵夫人』のときに予告編をみて、
面白そうとチェックしていたのでした。

京都シネマは、いわゆる「単館上映」のマイナーな作品ばかりですが、けっこう客が、
それも若い女性たちの観客が多い。最近、映画は「邦画」が人気ということですが、
そちらからの影響もあるのでしよう。


ひじきご飯のおにぎりをおつまみに、ワインを飲みながら、お楽しみ映画鑑賞。
DVDで、クロード・ルルーシュ監督『男と女』(1966年)。

あの有名な音楽とともに、今や「通俗的恋愛映画の極み」みたいですが、
しかし今見ても、とても新鮮で、前衛的な映像だと思います。

冬の夕暮れの海岸で、犬を連れた老人の姿を眺めながら、
ジャコメッティのことを語り合うシーンは、何度見ても美しい。

映画のあとは、思わず、僕の好きな美術批評家・宮川淳『鏡・空間・イマージュ』(美術出版社)の
ジャコメッティ論などをぱらぱらとめくってしまいました。

夜中は、お楽しみDVD。『ロング・エンゲージメント』。
『アメリ』の監督・ジャン=ピエール・ジュネと主演のオドレイ・トトゥがふたたび組んだ作品です。

第一次大戦が舞台の「戦争映画」ですが、さすが、そんじょそこらの「戦争物」とはわけが違う。
あまり評判にならなかったけど、けっこういい映画でした。

夜はDVDでアレクサンドル・ソクーロフ監督『太陽』を観ました。

「人間」としての昭和天皇を描いたという、「話題作」です。監督はロシア人。
フランス・イタリア・ロシア・スイスの合作。主演の昭和天皇はイッセー尾形が演じます。
いうまでもなく、「日本」ではぜったいに作れない映画ですね。

「人間としての昭和天皇の苦悩」を描くということですが、けっして過剰な表現もなく、
淡々とした場面が続いて、それなりによかったです。

神格否定から「人間」宣言までのことが中心ですが、神としての天皇については、
もっと深めてほしかったとか、生物学に没頭するときの昭和天皇のちょっと「狂」めいた部分をもっと描くと面白かったのにとか、
「祭祀」の場面があればよかったのにと、いろいろ注文はつけられますが、
すくなくとも「人間ヒトラー」を描いた『ヒトラー 最後の十二日間』よりはよかったと思います。

なによりも「映像」としての質の高さですね。

夜中はDVDで『誰が為に鐘は鳴る』。ヘミングウェー原作の作品は、
映画ではスペイン戦争の「冒険活劇」となっていますが、それなりに面白い。
なんといっても、イングリット・バークマンはとてつもなく綺麗でした。

いま話題の映画『バベル』を観てきました。

モロッコを舞台とする銃弾を受けたアメリカ人夫婦と遊びでライフルを撃ったモロッコ人兄弟。
メキシコとサンディエゴを舞台とするアメリカ人夫婦の子供とその乳母。
東京を舞台とするライフル所有者の男とその娘・聾唖の女子高生…。
イスラム圏のモロッコ、移民問題を抱えるメキシコ、そして「病んだ都市」東京という具合に、
それぞれ「現代」を象徴する場所が、思わぬ形で結びついていくというストーリーの構成や展開は、なかなか面白かったです。

でも正直いって、作品の出来は、期待したほどではなかったですね。
「現代」も「世界」も、もっと複雑で、もっと残酷で、もっと不条理なのでは。
それにくらべれば、この映画の世界は単純すぎる、という気がします。

まぁ、たしかに聾唖の女子高生を演じた菊池凛子はすごかったけど。

夏休みのDVD。以前に購入した、ドイツ映画、ヴォルフガング・ベッカー監督『グッバイ・レーニン』を観ました。

東ドイツが「崩壊」し、「ベルリンの壁」が壊されていく、時代の転換点の期間、
事故で意識不明になっていた主人公の母親が、「崩壊後」に意識を取り戻す。
急にショックを与えていけないという医者の指示で、
息子は、昔どおりの「社会主義」の生活が続いていることを、さまざま「演技」していく。
母親は、社会主義の「教育者」だった。

映画はどっちかというコメディタッチで、「ほろり」とさせてくれる人情話し仕立てです。
きっとこの主題は、とても暗く、重たい映画にもなるのでしようが、
この作品は、それを軽妙なタッチで描くのでした。

最後に、主人公が母親にニセのニュースを見せるのですが、
そこでは西ドイツが崩壊し(つまり資本主義が否定され)、東西ドイツは、
開放的な「社会主義」のもとに統一されていくということになっています。
それを教条主義的なメッセージとして描かないところも、うまい。
これは、それこそレーニンが考えた社会主義の理想が「実現」されたという「オチ」のようにも見えます。
でもタイトルは「グッバイ・レーニン」とあるのがミソですね。

母親が撤去されていくレーニン像を見るシーンはなかなか感動的。
例の有名な演説しているレーニンの姿が、母親に何を語りかけているのか…。
そんなことをいろいろ考えさせてくれます。

あのシーン、どうやって撮ったのかと思っていましたが、ヘリコプターも、
それにぶら下がるレーニン像もすべて、ハリウッド顔負けの「最新のCG合成」なのでした。
まさしく「グッバイ・レーニン」です。

この映画、前に読んだ白井聡氏の『未完のレーニン』で紹介されていたので、
面白そうとアマゾンの「ネット販売」で購入しました。これもまた「グッバイ・レーニン」ですね。

ポール・バーホーベン監督『ブラックブック』。

オランダを舞台としたナチ時代の、ユダヤ人女性が「女スパイ」になっていく物語。
話題的には暗い社会派のまじめな映画ですが、さすが『ロボコップ』や『スターシップ・トゥルーパーズ』の監督。
かなり派手の冒険活劇となっていました。ただもっと『ロボコップ』みたいなどぎついブラックユーモアがあってもいいと思いますが、
やっばり「ユダヤ人問題」は、それは難しいのか。でも、面白く、楽しめる映画でした。

次に、これは評判の『善き人のためのソナタ』。

「監視国家」時代の東ドイツの国家保安局員の「良心」を描いた作品。
まさに「社会派」の映画ですが、みんなが感動したというほど、僕にはイマイチでした。
やっばり主人公の心理の変化がうまく理解できないからでしよう。
それに監視国家のシステムって、こんな単純なのかと思えてくるし。
同じドイツ映画としては、先に見た『グッバイ・レーニン』のほうが面白かった。

トニースコット監督『デジャヴ』。

ハードなサスペンスものかと思ってみたら、タイムマシンが出てくる「SF物」みたいになって、
観るものの意表をつくところがあります。それを面白く感じるかとどうかですが、
僕はあまり期待しないで観ていたので、けっこう楽しめました。たしかに結末のオチは?ですが。

ロバート・デ・ニーロ監督『グッド・シェパード』。

アメリカの諜報機関「CIA」設立に関する物語です。
派手なアクション物ではなく、とても地味な「歴史もの」みたいな作品。

第二次大戦からキューバ侵攻前後の時代のなかで、
アメリカの一握りの上流階級出身者たちが中心となってCIAが作られていく過程が、
なんとも淡々とした調子で描かれています。そこに主人公の妻、息子との葛藤と情愛が描かれ、
ある意味で昔っぽい「映画らしい映画」です。

地味な作り方ですが、二時間半以上の時間をまったく飽きさせることなく、見せてくれました。
主演は『ボーン・アイデンティティ』のマット・デイモン。ボーンの役で、僕はけっこう気に入っている役者です。

そういえば、まもなく上映のボーンシリーズの第三部では、CIAとひとりで対決する役回り。こちらも楽しみです。

午後から休日映画。二条でマット・デイモン主演『ボーン・アルティメイタム』(ポール・グリーングラス監督)を観ました。

記憶を失ったCIAの特殊工作員の「自分探し」の物語「ジェイソン・ボーン」シリーズです。
パート1『ボーン・アイデンティティ』以来のファンなので、とても期待して鑑賞。

たしかにこの映画だけだったら、よく出来たアクション物として充分楽しめたのですが、
しかしパート2の『ボーン・スプレマシー』があまりに傑作だったので、
それと比べると、やっぱりパート3は「落ちる」のでした。

パート2の世界にあった、「リアリティ」と「悲しみ」がこちらには欠けている。
それに結末の「秘密」もなんら意外性のないものでした。

といって、いろいろ貶しますが、やっぱりこのシリーズは、最近のアクション物では秀逸です。
パート3もDVD出たら、きっと買ってしまうでしよう。

そして夜は、パート1『ボーン・アイデンティティ』をDVDで鑑賞。アクション映画の一日でした。

久しぶりに雨の一日です。冬の雨といっても、そんな冷たくはありません。

ウィル・スミス主演『アイ・アム・レジェンド』。
人間がすべて死滅したニューヨークにひとり生き残った男の物語。
ほぼ全編、ウィル・スミスの独演です。

それにしても、ニューヨークの街が無人となり、ビルに草が生え、
錆付いた車が無造作に放置され、野生動物が走り回る。出動寸前の体勢の空母の上で、
ひとりゴルフをする主人公、その向こうには、途中でへし折れた高速道路の橋が見え、
そこに鳥たちが飛び交っていく映像など、一見すると、「美しい世界」みたいに見えるのが、
逆にとても恐怖感を掻き立てくれます。

当然、CGも駆使されていますが、かなりは実物でロケしたとか。
まったく人気のない、劣化したコンクリートのビルが立ち並ぶ大都会の映像は、圧倒されます。

最後にゾンビみたいな怪物化した人間が登場するのは、興ざめですが、
まぁ、この手の映画としては、予想以上の面白さ。
一人残された生存者の孤独というのも、けっこううまく表現されていました。
僕は、こういう「破壊された都市」というイメージが基本的に好きなのですが、その勘所をきちんと押さえてくれました。

 「破壊された都市」のイメージは、なんといっても、謎の画家、モンス・デジデリオですね。

こういう映画を観終わったあと、観客が外に出てみると、外は同じように廃墟になっていた…、
なんていう作品があってもいいと思うのですが、そういうオチは、安易ですかね。

映画のあとの京都の町は雨のなかで、いつもより静かでした。

講座のあとは、ひとりでCOCON烏丸でゆっくりとお昼ご飯を食べ、そのあとは三条通りのMOVIXに行って映画。

『シックスセンス』『サイン』のナイト・シャマラン監督『ハプニング』を観ました。

この映画、前評判はイマイチだったので、そんな期待していなかったのですが、
思っていた以上には面白かった。「正体不明の恐怖」ということは、この監督の得意とするところ。
でも、「夫婦愛の話」は蛇足というか、描き方がへたくそですね。

でも大方の批評のとおり、シャマラン監督は『シックスセンス』を超える作品はなかなか作れないみたい。

映画見てきました。新バットマンシリーズ『ダークナイト』。

けっこう評判が高く、期待していたのですが、う〜ん、僕には駄目でした。
なんか久しぶりに映画の途中で眠くなってきてしまうほど。

「悪」のジョーカーが中心かと思っていたのですが、どうもそれに徹しきれていないので、
作中人物の誰にも感情移入が出来ない、なんとも中途半端な印象でした。

予告編のほうでは、これからまだまだ面白そうな映画(僕好みの)がありそうなので、それに期待しましよう。

夏休みは、面白い映画が観たい!

夜はDVD鑑賞。コーエン兄弟監督『ノーカントリー』。
二〇〇七年アカデミー賞受賞作品ですが、けっこうハードな物語でした。

やはり「殺人鬼」のバビエル・バルテムが、ほんと不気味で怖かった。
トミー・リー・ジョーンズのヘル保安官が父親の昔話を語っているところで、パッと映画が終わるところは、なんとも憎い。

二時半から、映画。観たのはウィル・スミス主演の『ハンコック』。

徹底的にお馬鹿なアクション物。嫌われ者の「スーパーヒーロー」が、
社会的に「更正」していくという話なのですが、さらにその奥には、
人類と神との契約が…、みたいな感じで、意外な展開が。なかなかよく出来ていました。
これはシリーズ物にしてほしい。

原稿仕事がひと段落したので、夜はお楽しみDVD。届いたばかりの『クローバーフィールド』を観ました。

この映画、謎のモンスターがニューヨークの街を襲い破壊していくという、
ストーリーだけ聞くと、なんとも陳腐なB級ものですが、
しかし、それを全編、「事件」に遭遇した若者が偶然撮ったビデオで再現するという仕掛けになっています。

友人の就職が決まって、そのパーティの様子をビデオに収めていたら、
そこに突然モンスターが出現して、逃げ惑う人びと、破壊されるビルなどの光景が、
ほんとに家庭用ビデオの画面で撮ったようになっていて、なんとも「リアル」なのです。

いきなり、吹っ飛んできた「自由の女神」像の頭が道路に転がっていくとか、
その頭を通りの人たちが携帯カメラで撮影したりとか、軍隊が発砲するところに、間違って入ってしまったりとか…。

これを普通の「モンスター映画」と同じような撮り方で作ったら、面白くもなんともないのですが、
ともかく手持ちのビデオの、ピンボケになったり、手ぶれが激しかったりという、
当事者の限定された視点からのみ撮られているというスタイルが、
なんともいえない臨場感と恐怖を掻き立てるのでした。

偶然撮られたビデオは、就職が決まった主人公が彼女とデートしたときに映したビデオの上に重ね撮りしてしまったという設定になっていて、
最後は死んでしまうふたりの若者たちの楽しげな「過去」の姿が時々映し出されるというところは、心憎い演出です。

監督のマット・リーヴスも、出演者たちもまったくの無名の新人、若者たち。
付録についている「メイキング」を観ると、ほんとに楽しそうに、
この映画を作っていることが伝わってきて、なんか、うらやましくなります。
こういうのが観たかった。というか、自分もこういうモンスター映画が作ってみたかった…。そんな気分にさせてくれる作品です。

それにしても、劇場公開時に見忘れたのが悔やまれる…。

授業と執筆仕事のあいまの息抜き映画。
三条で、ベクマンベトフ監督『ウォンテッド』を観ました。

ロシア人監督が作る、アメリカンコミックを原作としたアクション物。
なんといっても、『トゥームレイダー』のアンジョリーナ・ジョリーの戦う姿が見られるのが楽しみでした。

一千年前に織物士たちが作った「暗殺組織」が現代に受け継がれ、
暗殺指令は「織物」の糸の織り方のなかに籠められているという、
けっこう「神話的」な世界です。『ハンコック』もそうですが、
最近のアメリカアクションは、けっこう「ファンタジー系」とミックスされたものが多いみたいですね。

たっぷり楽しませてもらいました。

一週間、仕事が続いたので、日曜日は、二条駅のTOHOシネマズでお楽しみ映画。
すでに前売り券つきのDVD(名作選)を買った『Xファイル・真実を求めて』です。

テレビシリーズの『Xファイル』はかなり凝って、
貸しビデオ屋でレンタルしてほとんどを見ているほど。
六年ぶりのスクリーン登場ということで、ファンとしては見ないわけにはいきません。

そうとうな「低予算」で作られた今回の映画版は、ストーリーの内容、
展開や映像描写などは、そのまま以前のテレビ版で放映しても、
まったく遜色のないほどの出来です(逆にいえば、ワンパターンということですが)。

しかし、しかし! 肝心のモルダーとスカリーが、
妙に年をとってしまっていて(とくにスカリー役のジリアン・アンダーソンが老け込んでいる)、
なんだか懐メロ歌手が、自分の昔のヒット曲をうたっているみたいな感じもします。

あれはやっぱり「若い」ふたりだったからよかったのかも。
それにふたりはいつのまにか「恋人関係」になっていて(ネタバレ注意)、
まぁ、そのほうが自然なのですが、でもそうなると、以前のふたりの緊張感もなくなってしまう…。

などと、いろいろ文句をつけますが、でも久しぶりに『Xファイル』を味あえてよかったです。

しかし夜は、やっぱりDVDで昔のシリーズを観てしまいました。

昼過ぎに外出。三条に出て、映画。リドリー・スコット監督『ワールド・オブ・ライズ』。

CIAのエージェントをレオナルド・ディカプリオ、彼の上司をラッセル・クロウ。
現在のイラクを舞台に、「テロリスト」との戦いを描くといったもの。
描き方によっては、かなり政治的な内容になりますが、
スコット監督は「政治的メッセージー」は極力押さえていて、
純粋に「スパイアクション物」として楽しめました。

まぁ、でも主人公が最後は「イスラム世界」のなかに残るという結末の付け方は、
もうひとつ説得性がなかったですね。

こういうイスラム世界を舞台とする映画は、どこでロケーションをするのかというと、
モロッコなのですね。まえの『ブラックホークダウン』や『グラディエーター』(これはイスラム世界ではないけど)なども、
すべてモロッコで撮影しているそうです。

ちなみにスコット監督の弟のトニー・スコットも『スパイゲーム』というスパイ物を撮っています。これも面白かった。

スコット監督には、『エイリアン』や『ブレードランナー』みたいな、
超マニアックなSF物を、また作ってほしいですね。

本作のまえの予告編で、チェ・ゲバラを主人公とする『チェ』がかかったので、
思わず前売り券を買ってしまいました。さて、こちらの出来はいかに…。

映画館は、久しぶりに混雑していました。なんか休日まえの雰囲気です。

薄曇りの大晦日です。午前中から「おせち料理」作りに励むくたくたさんを尻目に、僕は恒例の大晦日映画へ。

二条の映画館で、キアヌ・リーブス主演・スコット・デリクソン監督『地球が静止する日』。

う〜ん、もっと面白い映画になるはずなのに、なんか作り方が下手ですね。
なんというか、監督や作り手たちの「趣味ごころ」が感じられない。

唯一よかったのは、子役の少年・ジェイデン・スミス君。あとでパンフレットみたら、
なんとウィルス・スミスの息子だったのでした。

オリジナル版『地球の静止する日』が見たくなりました。

お昼過ぎから二条に出て映画。
スティーヴン・ソダーバーグ監督『チェ・28歳の革命』を見ました。

いうまでもなく、キューバの革命を成功させ、
ボリビア革命には失敗して処刑されたチェ・ゲバラの生涯を描くものです。

まぁ、アメリカの監督が作る「伝記映画」だから、
安っぽいヒューマニズムとヒロイズムの作品になるんだろうと、
あまりに期待してはいなかったのですが、これはなかなかいい映画です。

まったく感情移入を排して、淡々と進行していくまるでドキュメントみたいなつくり方。
56
年から59年のキューバの革命と、64年にチェが国連総会に参加して演説したときのことが交互に映し出され、
政治的・思想的にもきちんとした描き方をする「硬派」の映画でした。
ハリウッド的な戦争アクションを期待していた多くの観客は、かなり退屈しているみたい。

チェ・ゲバラといえば、それこそ60年代、70年代のシンボルみたいで、
みんな彼の顔がプリントされたシャツ着たり、かばん持っていたりしていましたね。

でも、当時の僕は「キューバ革命」というのは、
結局、「第三世界論」とか「後進国革命論」とかに陥ってしまうので(それにたいする批判は、吉本隆明が展開していた)、
ほとんどシンパシーを感じていなかったのですが、
今、グローバリズムのなかで、「キューバ」や「ラテンアメリカ」の世界のことをどう考えるかは、重要かもしれないですね。

たぶん、そういう意図があって、この映画も作られたのではないかと思います。

三日間のお仕事が終わったので、午後から河原町三条に出て、
映画。『チェ 39歳別れの手紙』を観ました。前に見たものの続編。

キューバ革命のあと、ボリビアに転戦するゲバラが、そこで敗北し、最後は無残に処刑されてしまうという悲劇的な物ストーリーです。

しかし前作と同じように、その悲劇的な最後も、けっして感情移入するわけではなく、きわめて淡々と描きます。
そのぶん、物語がすべて終わって、最後のエンディングが音楽もなく流れていくところで、突然、涙が出そうなぐらい感動してしまいました。

この映画、あらためて秀作です。

映画が終わってから、三条通りの「TULLYs」という喫茶店で休憩。
隣の席に、若いジャズの演奏家たちが集まってきて、あれこれとお喋りしています。
これからどこか近くでライブでもあるのでしようか。この喫茶店、そんな人たちが集まる、とてもいい雰囲気があります。

三条の映画館で『ターミネーター4』見ました。

今まで、断片的にしか描かれていなかった「核戦争後」の近未来の様子を描くということで、けっこう期待。
前半の荒涼とした光景のなかの戦いの映像はなかなかよかったです。

最後に「T−800」で、若いときのシュワちゃんがCG合成の映像で登場するところはご愛嬌。

邦画編

子供の頃、大晦日は父親に連れられて映画に行く習慣がありました。
大晦日は掃除やお節作りで忙しいので、父親と子供が家のなかにいると邪魔になるからでしよう。
父親と一緒に観た「007」シリーズがなぜか記憶に残っています。

それで大人になってからも、なんとなく大晦日は映画に行く習慣があります。
今年も、くたくたさんの「え〜〜」という眼差しを受けながら、
二条駅に出来た新しい劇場にひとり出かけたのでした。

観たのは『男たちの大和』。新聞とかの批評はけっこうよかったので、
それなりに期待していったのですが、まぁすごいお金をかけて作ったステレオタイプの「戦争映画」でした。

クライマックスの戦闘シーン(沖縄特攻!)は、
最近の「戦争映画」の方法や技術をきちんと踏まえつつ(たとえば『プライベートライアン』とかの)
かなり迫力ありました。また「大和」の細部にこだわっているところは、模型ファンも喜びます。
そして「お涙頂戴」の勘所はきちんと日本映画の「伝統」を踏まえているのは、さすが()です。

劇場はほぼ満員。最後まで観客はきちんと座っていて、終わったらなんと拍手が!
そしてあちこちから鼻をすする音が聞こえてきます。明るくなって周りも見ると、
泣きはらしたような男性たちの恥ずかしそうな顔が見えました。
すごいです。当然、僕もきちんと泣きました。(せっかくお金出して観たのだから泣かないと損だ…)

ちなみに映画館には子供連れのお父さんがたくさんいました。大晦日の習慣として定着しつつあるのでしようか。



ふたたび、雨模様。降ったり止んだりの天気です。本日、授業はなし。
夕方まで家で原稿書きをしてから、京都文化博物館の映像ホールで、昭和二十五年製作の映画『細雪』を観て来ました。

昭和二十年代の大阪や京都の風景が見られると期待したのですが、
そうした風景描写はほとんどありませんでした。物語は、大阪の旧家の四人姉妹の生活を描くといったもの。

谷崎がこの作品を書いていたのは、戦争中のこと。
絢爛・豪華なブルジョアの浪費生活を描くのは「時局にふさわしくない」と、
検閲当局からの弾圧で『中央公論』の掲載が禁止されたという曰く付きの作品です。

映画は、四女の妙子(高峰秀子。綺麗でした)の、
自由奔放な恋愛を中心に描いてました。たしかにドラマとしての盛り上がりとしては、
そうなってしまうのでしようが、しかし、やはり『細雪』は、姉妹たちが、春、夏、秋、冬と
四季それぞれ「年中行事」みたいな生活を淡々としている、その場面が重要でしよう。

とくに、『細雪』といえば、春の平安神宮の枝垂桜の花見のシーンとか、
三女の雪子のお見合いで行った、蛍狩りのシーンとかは欠かせないはずです。
映画で、それがどんなふうに描かれるか楽しみだったのですが、
それらはすべてカットされているのでした。これってほんとに『細雪』?

まぁ、映画そのものは不満でしたが、見に来ていた中高年の人たちの会話は面白かった。
九十八歳というおじいさんは、矍鑠とした姿勢で、これは自分が若い時分に見たやつと自慢げです。
見終わった老夫婦は、大阪の言葉が違うとか、お雛様の飾り方が違うとか、
そんな批評をしていました。そんな会話が聞けたのは、やはり『細雪』だからでしよう。

夕方、授業終わってから、京都文化博物館に。例によって昔の日本映画シリーズです。
今日は昭和41年の東映京都作品、水上勉原作の『湖(うみ)の琴』を観ました。

余呉の湖の風景、そして何よりもヒロイン・佐久間良子がきれいでした。

午後三時ごろに外出。京都文化博物館に行きました。

展示は、祇園祭の鯉山の飾り、昔の三条近辺の建築物の写真展、
そのあとは「印象派と現代絵画」と盛りだくさんです。
くたくたさんお勧めの、昔の銀行時代の「金庫」に作られた、レトロな喫茶室でコーヒーとケーキ。
どこかのホテルで修業してきたみたいな、お洒落な老マスターが淹れてくれるコーヒーはいい味です。

そのあと、館内の映像ホールで、昭和二十六年制作の大映映画、吉村公三郎監督『源氏物語』を観ました。
白黒なのに、まるでカラー作品であったかのような印象。
脚本は新藤兼人、監修には谷崎潤一郎、池田亀鑑、
そして女優陣は、木暮実千代、京マチコ、水戸光子、音羽信子、新玉三千代と、超豪華です。

 

夕方、少し雨が降りました。夕立ですね。紺色の浴衣に黄色の帯のくたくたさんと連れ立って、散歩。
まず京都文化博物館で、映画『祇園祭』を見ました。

 

僕がこれをはじめて見たのは、中学生のとき。
それ以来、この作品はどういうわけかビデオになっていなくて、ついに中学生以来、はじめての「再見」です。

一九六八年制作の、いかにもその時代を反映しているような「民衆闘争」の映画。
でも、祇園社のつるめそ(犬神人)や馬借人、河原者、土一揆の農民、
そして京都の町衆の人々がとてもリアルに描かれていて、今から見れば、
当時、よくこれだけ作れたなぁと、あらためて感動。
中世後期に復興された祇園祭の山の鉾などもきちんと再現されているようで、くたくたさんもご満足のようでした。

映画のあとは、博物館内にある鶏肉料理屋さんで夕食。
それから今度は本物の「祇園祭」の宵宵々山を見物。四条どおりは例によってすごい人出です。

 

今年は、南側のあまり混んでいないエリアを中心に歩きました。
灯りも消えた町屋の通りに、山や鉾を飾る提灯だけが浮き上っている様子や、
近所の人たちだけが夕涼みをしていたり、浴衣姿の子供たちが走り回っていたり、
そんな祇園祭の宵山の光景もいいものです。


夏休みの映画、第二弾は『日本沈没』。
監督は、平成版『ガメラ』の特技監督だった樋口真嗣。

彼の前作『ローレライ』は、いまいちだったのですが、
どう「日本」を沈没させるのか、その映像のテクニック、ただただそれだけを楽しみにして見に行きました。

結論。日本は沈没せず(ネタバレ注意)、かわりに映画が「沈没」してました()
樋口氏は、やっぱり「技術屋」に徹したほうがいいですね。

樋口氏のインタビューによると、若いときは日本なんか沈んじゃえと思っていたけど、
年とったら、日本には女房子供いるしローンも残っているし、
みたいな気持ちになってきた云々と語っていますが、それがまさしくこの映画の「つまらなさ」の根源ですね。

派手な「災害」のシーンはあるけれど、そこに主要な登場人物はほとんどかかわっていないみたいな描き方では、
ぜんぜんスリルも恐怖も感じないでしよう。それって映画の作り方の初歩もわかっていないということ?

読書はずっと幕末物でしたが、夜のお楽しみDVDも「幕末物」。
昔の大河ドラマの総集編で『花神』(四枚組)を観ています。

松蔭、高杉晋作、村田蔵六(大村益次郎)を「思想家・戦略家・技術者」として長州藩を中心に、
「維新回転」を描きます。原作は、司馬遼太郎。司馬史観による「明治維新」です。
オリジナル版のとき以来、好きな大河ドラマのひとつです。

それにしても、役者たちがみんな若くかっこいい。篠田三郎が扮する松蔭は、ほんと泣けてきます。
村田蔵六(中村梅之助)。桂小五郎(米倉斉加年)、井上聞太(後の井上馨。東野英心)、
伊藤俊輔(後の伊藤博文。尾藤イサオ)。そして今の大河ドラマで徳川家康を演じている西田敏行が
山形狂介(後の山形有朋です)。すごい殺気あふれています。

そのなかで、中村雅俊扮する高杉晋作が下関の遊女屋で、
三味線の爪弾きをしているところを、秋吉久美子の、
ちょっと頭の足りない遊女の「おうの」がぽりぽりと漬物食べながら聞いているシーンが、大好きです。

なんか幕末維新の「変革」の裏側の、政治も思想も無縁な世界の雰囲気が、
ふっとその場面から浮かんでくるからです。

なんていうドラマを、ウイスキーをちびちび飲みながら、観ていたのでした。

 

僕はお昼過ぎから二条に出て映画を見てきました。
宮崎吾郎監督『ゲド戦記』。もういろんな「悪い評判」をあちこちから聞いていたので、まったく期待せずに観ました。

結論。これは別に『ゲド戦記』である必要のない映画でした。
だって、そもそもゲドはぜんぜん活躍しないし、「魔法」についての深遠な哲学が語られるわけでもないし、
島々によって作られたアースシーの世界が舞台となるわけでもないし。

少年、少女の「純愛モノ」をめざしたのかもしれませんが、
それならそれでもっと徹底的にその路線でいけばいいのに。
なんか不徹底な印象ばかり残りました。あらためて『ナウシカ』を作った宮崎父は偉かったんですね。

 

夕方から文化博物館で昔の日本映画鑑賞。
昭和三十一年製作、吉村公三郎監督、そして山本富士子主演の『夜の河』を観ました。

 

この映画、かなり昔にテレビの深夜枠で放映されたのを観て(たぶん二回ぐらい見た記憶が)、
それ以来とても気に入っている作品なのでした。
今月のラインアップにこれが入っていると知ったときは、思わず狂喜。

昭和二十年代後半の京都西陣を舞台としたもの。
主演の山本富士子が、とてつもなく美しいのでした。
本作は同年キネマ旬報賞第二位を受賞。なるほどと納得できる、いい作品です。

 

それにしても、五十年ほど前の、あの美しい京都はどこに消えてしまったのでしよう。
街も、女性たちも、そして人々の話す言葉も。まるでもう別の世界みたい。
でもところどころ今と同じような八坂神社や東山のあたりの景色が映ると、
なんか不思議な気分になるのでした。

 

 

夕方から京都文化博物館に行って、映画鑑賞。
昭和三十七年、川島雄三監督、水上勉原作の『雁の寺』を観ました。
主演は若尾文子。昭和初年の衣笠山周辺の禅寺が舞台。
聞いたことのある地名が出てきて、なんかうれしくなりました。

それにしても、禅寺の坊さんのおめかけさんを演じる若尾文子は、
ほんとなんともいえず「妖艶」ですね。水上作品が描く花街の女性にぴったりのイメージ。
僕は『越前竹人形』が好きです。こちらはDVDも持っています。

なお『雁の寺』については最近買った『京都文学散歩』(京都新聞出版センター)にも
詳しい地理の案内などが解説されていました。

夜は先日アマゾンで買ったDVD、豊田四郎監督『東綺譚』(1960)を観ました。

ヒロインのお雪は山本富士子。昭和十年代の「玉の井」の私娼窟の風景が見事に再現されている、
それを見るだけでも価値があるという作品です。

劇中にはちゃんと荷風らしい人物も登場します。あまりにそれらしいので、笑ってしまいます。
この作品、可能なかぎり原作にそいつつ、しかし原作とはまた違う作品として完成しているという
稀有な出来といえるかもしれません。原作中の「小説・失踪」をもとにして、
それをさらに社会的な作品にしているという感じ。

原作は「哀愁の美感に酔う」という唯美主義の作品ですが、
映画版はそれよりも「社会性」や「リアリズム」みたいなところを強調しています。
どちらかといえば初期荷風の「自然主義っぽい」作り方。
だから映画を見ていて、たしかに荷風の味が出ているけど、
なんか『濹東綺譚』とは違うように感じさせるのでした。

でも山本富士子演じるお雪さんは、ほんと原作をそのまま映像化したみたい。
せりふの言い回しとかも原作のイメージのままでした。
ヒロインのイメージが違っていたら、もう台無しでしたね。

夜中、映画を見終わったあとも、まだ雨は降っているようでした。

僕のほうは午後から映画へ。二条駅に出て、『どろろ』を観てきました。
最近の邦画ブームのせいか、すごい超満員です。
新聞の評もよかったので、けっこう楽しみにしていたのですが…。


最初の出だしは、原作のイメージも残しつつ、「時代」や「場所」をこえた不思議な世界をかもし出していて、
けっこういいかもと期待は高まりましたが、途中からだらけました。
とくに後半の百鬼丸と醍醐影光や弟の多宝丸のからみは、まったく退屈。
予定調和的な結末も最悪です。

原作とは違う「世界」を作るということだったので、
原作やアニメ版との違いはいいとしても、では新しい映像世界を作り出したのかといえば、
アメリカやイギリスのファンタジー映画やSF作品を知っていれば、どっかで観たことがある映像。
オーストラリアのロケっていうのも、もう既知の世界のイメージでしかないし。
百鬼丸が厚手のフードを着て、酒場に登場するシーンは、『スターウォーズ』のパクリだし。なんか想像力が貧困なのですね。

まぁ、そんななかでは、柴咲コウのどろろは、唯一、よかったです。

帰ってから、口直しに、昔のアニメ版の『どろろ』のビデオを押入れから探しだして、観てしまいました。

69年に放映されたアニメ版は、白黒映像のせいもあって、なんとも暗い。
でも、時代考証もけっこうしっかり凝っていて、「応仁の乱」前後の時代設定や、
風景描写は墨絵ふうだったり、それに音楽は琵琶の重厚な響きを駆使する、なんと富田勲の作曲だし。

このアニメ版『どろろ』は、日曜日の七時半に「カルピス まんが劇場」という枠で放映されていたのですが、
残酷なシーンは続出、「か*わ」とか「め*ら」といった差別用語はばしばし使われていて、
カルピスの担当者があわてて「打ち切り」にしたとか。

ちなみに、『どろろ』の次に始まったのが『ムーミン』でした。
でも中学生の僕は、この『どろろ』が大好きで、毎週欠かさず見ていました。(なのでビデオも全巻持っている)

ちなみに、『どろろ』が放映された69年の日曜日は、
六時半から「東芝劇場」で『カムイ外伝』が始まり、
八時からのNHK大河ドラマは『天と地と』(こちらも音楽は富田勲)。
そして九時半からは、「白鶴劇場」という枠で、高橋幸治主演の『吉田松陰』が放映されていました。

中学生の僕は『カムイ外伝』から『どろろ』、『天と地と』、そして『吉田松陰』まで、ぜったいに見逃さずに観ていました。

大河ドラマの『天と地と』は、石坂浩二の上杉謙信、
高橋幸治の武田信玄でけっこう人気でしたが、
九時半からの『吉田松陰』は、最悪の視聴率で、新聞とかには「0パーセント」とか書かれていました。
その記事を見て、いや僕は毎週観ていると反発したのでした。

僕が『吉田松陰』を熱心に観ていたので、父親が山口に出張したときに、
例の「身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし大和魂」という辞世歌が入ったメダルを買ってきてくれたり、
中学の卒業文章とかの好きな言葉には、この歌を書いたりとか(ほとんど右翼だ)…。

いやはや『どろろ』からとんでもない思い出話になってしまいました。

夜中は突然、昔見た『新撰組』の映画(三船敏郎主演。一九七〇製作)が見たくなって、
押入れからビデオを探し出して観てしまいました。この映画、同時流行っていた「独立プロ」の製作。
中学生の頃初めてひとりで映画を観にいったときのものです。

この『新撰組』、なんといっても三國連太郎演ずる「芹沢鴨」がピカイチ。

今見ると、ロケしている場所が、だいだいあそこだとすぐにわかって、
そんなあらたな面白さも。こないだ行った黒谷・金戒光明寺とかは、ふんだんに使われていたのでした。

今年の夏休みはなかなか映画に行く時間もなかったのですが、本の校正の合い間に観てきました。
中田秀夫監督『怪談』です。ご存知「真景累ガ淵」が原作で、『リング』の中田監督で、
さらにヒロイン・豊志賀が黒木瞳とあって、けっこう期待していたのですが…。

冒頭は一龍斎貞水の講談語りの場面が始まって、
なかなか盛り上がってきたのですが、本筋のところでは、どうも描写が雑な感じ。
それにちっとも怖くない。(おどかしの場面はありますが…)

『リング』のときの、映像そのものがなんか怖さを感じさせる、あの感覚がない。
それに「江戸情緒」というのも、ありきたりの描写だし。
やはり「モダンホラー」の監督には「古典ホラー」は難しいということでしようか。

せっかくの黒木瞳の常磐津の師匠が、うまく生かされていなくて残念。
押さえきれない嫉妬の情念とかを、もっと三味線や唄を効果的に表現してほしかった。

さらに(これは映画の内容とは関係ないけど)、近くの席のおばさん連中が、
まるで茶の間でテレビ観ているように、おしゃべりしていて、「もうすぐ妹の家にいくよ〜」とか「ああ、こわ〜」とか、
言って、それはそれで楽しんでいるんでしようげど、ここは映画館だということを認識してほしいですね。
まったく。ということで、なんか散々でした。

夕方、京都文化博物館に映画観にいきました。
上映作品は一九七八年の増村保造監督・ATG版『曽根崎心中』。いうまでもなく近松の浄瑠璃が原作。

ヒロインの天満屋お初には梶芽衣子。平野屋徳兵衛はダウンタウン・ブギウギ・バンドの宇崎竜堂という豪華キャスト。
七十年代の「自由」と「前衛」の時代にふさわしい、心中物でした。

それにしても、梶芽衣子の死を決意した、男との道行きの場面の目の輝きはすごい。
ある意味で表情のないその顔は、「人形浄瑠璃」にあっているのかもしれない。

最初は、これって近松?っていう違和感もありましたが、
途中からぐいぐい物語に引き込まれ、最後の心中場面はほんと感動でした。久しぶりのATG映画の世界でした。

昭和十四年に製作された、田坂具隆監督作品『土と兵隊』を見ました。
以前、くたくたさんの父上が面白かったと教えてくださったもの。

戦時中の作品ですから、いうまでもなく「戦意高揚」のための国策映画の一面もありますが、
しかし実際の戦争の記録映像と「演技」の部分とかがまったく区別できないみたいな、とてもリアルな「戦争映画」でした。

なかなか見ごたえがある映画です。

夜は、突然なぜか、DVDで『となりのトトロ』。カン太がサツキたちに傘を貸してあげる梅雨空。
バス停でトトロに出会う初夏の夜。サツキがメイを必死に探し回る、だんだん暮れていく夕方の夏雲…。
ほんと「トトロ」は、夏に観るにぴったりです。くたくたさんもゲラゲラ笑ってみています。世代を超えて楽しめる映画ですね(笑)。

夜中は原稿書き続行。「トトロ」のお父さんみたいに、団扇であおぎながら、パタパタとパソコン打っています。

夜は、NHKハイビジョンで、市川昆監督の『細雪』を観ました。一九八三年の作品です。

長女鶴子は岸恵子、次女幸子は佐久間良子、四女妙子は古手川祐子。
そして三女の雪子は吉永小百合。当時の美人女優総出演、みたいですね。

八十年代なので、もう昭和初期の大阪や京都の町を全体的に見せることは不可能。
ということで、やたらと町家のアップばかりが映されます。
でも、そのほうが、この作品世界が、日本全体から見れば「部分」として切り取られた「美」の世界であることを強調させてくれるようです。
市川監督は、それを意図的に演出したのでしよう。

吉永小百合の雪子は、意外とよかった。なんかぼっ〜としつつ、でも気が強いところがよく出ていた。
でも岸恵子はあんまりにもハイカラすぎて、旧家の長女という感じではなかったですね。

ドラマのなかで何度か「船場吉兆」(今、問題の!)に食事にいくところが出るのですが、
「吉兆」は三代目の孫娘の養子さんが跡を継いでいるみたいですね。
その感じは『細雪』の世界ともなんとなく通じるのかも。

問題は古い時代の「大阪言葉」ですが、そのチェックはなんと、
谷崎潤一郎の奥さん・谷崎松子さんが監修されていました。これはすごい。

そして衣装の着物への変質的なこだわりは見事。
『細雪』はやはり細部へのこだわりが重要なのでした。

夕方から外出。くたくたさんと四条烏丸に出て、映画を観ました。

曽原三友紀監督『はんなり』。外国向けに作られた、
京都の花街・芸舞妓さんたちの実像を紹介するというドキュメンタリーです。
ナレーションは英語。最初は、たんなる「外人向け観光映画」かと心配したのですが、
芸舞妓さんたちの生活や芸の修業の様子を丁寧に描き、そしてなによりも、
たんなる「伝統礼賛」ではない作り方で、思っていた以上によかったです。

女性監督の目から捉えた、「芸舞妓」たちの姿という描き方も、ちょっと新鮮な感じでした。

映画のなかでは、お座敷の様子も。目の前で絹づれの音を聞きながら、
芸妓さんの舞姿を観るというのは、いいものですね。一度は体験してみたい。

祗園甲部の売れっ子・真筝さんの「黒髪」の舞は、ほんとうにうっとりするほど美しい。
彼女は芸妓でありつつ、ジャズ系の歌手の活動もしていて、そのライブの時の様子も。

会場は、単観上映専門の京都シネマ。僕は何度がこの映画館に来ていますが、
今回は大入り満員で、なんと立ち見も出るほど。最近の「和もの」ブームの反映でしよう。

そして会場には、花街方面の方々、映画のなかに出演している芸妓さんらしき人もお客さんと一緒に観にきていたり、
とても華やかな雰囲気です。以前、くたくたさんが「変身舞妓」でお世話になった勝ふみ姐さんの姿も。
映画のなかにも勝ふみ姐さんは登場しています。

上映回数が一日一回とあまりにも少ない。この人気なら、また再上映があるかもしれませんね。そしてDVDも早く出してほしい。

おせち料理作りに励んでいるくたくたさんを尻目に、ひとりで大晦日恒例の映画へ。

二条の東宝シネマズで、森田芳光監督『椿三十郎』を観ました。いうまでもなく、
黒澤明のあの名作のリメイク。脚本はまったくオリジナル通りです。

というわけで、面白くないわけはない、安心して楽しめる作品でした。
大晦日に観る映画がつまらなかったら、なんかがっくりしますから、「安全」なものを選んだわけですね。

織田裕二の三十郎、けっこうよかった。ただどうしても、三船敏郎のしぐさや喋り方がダブってしまいますが。
中村玉緒、鈴木杏のとぼけた母娘、佐々木蔵之介の「おしいれ侍」は、いい味でした。
藤田まことは、もっと絡む場面がほしかったですね。

今、話題の映画、若松孝二監督『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』を観てきました。

権力の側からではなく、当事者の視点から描く「実録」という通り、
今までこの「事件」を題材とした映画のなかでは、もっともきちんとした作品でした。
とくに山岳ベースでの「内部粛清」については、興味本位な、
猟奇的な描き方は一切せず、とても冷静で「客観的」な描写です。

たしかにこの作品、想像していた以上には、いい出来でした。
しかし、その反面、ここには描かれていないことがあります。

たとえば、「事件」の当事者のひとり、植垣康博氏が映画を観た感想で、
映画全体のあまりの「暗さ」に違和感をもったと述べています。
仲間を殺してしまうという「粛清」は、たしかに暗く絶望的な世界でしよう。
後世の人たちが、この事件のことを想像されば、まずはその「内部粛清」の暗さになるでしよう。

しかし、「私は絶望的な思いをもって戦いに参加したわけではないし、
ずっと暗い気分でいたわけではない」と植垣氏がいうとおり、
あの六十年代後半の、権力を圧倒するような戦いの渦中の昂揚感や多くの人と繋がっていく共生感や解放感を、
「事件」の当事者たちもたっぷりと味わっていることはたしかです。
その昂揚感の延長に、連合赤軍派の成り立ちがあったわけです。

そして問題は、戦いの昂揚感や解放感を体験した者たちが、
暗く閉ざされて、内側へと向かわざるをえなかったこと、つまり「粛清」に歯止めをかけるすべをもてなかったことはなぜなのか。
それを描くことこそ、この「事件」を語ることになるはずです。

たしかに映画は、ニュースフイルムを使いながら、
67
年から69年までの高揚期や「ブンド」内部の対立などをきちんと描こうとしていますが、
それは外からの描き方に留まってしまい、戦いの当事者たちが感じ取った「盛り上がり」や、
負けていくことの「悔しさ」とかが、映画のなかからはどうしても感じることができなかったのでした。

映画は、いわゆる「団塊の世代」といわれる人たちで、超満員。
しかし、映画が終わったあと、みんな暗い顔で黙りこくって劇場を出てくるのが、なんとも印象的でした。

やっぱり若松監督が、六十年代後半の同時代に撮った『天使の恍惚』とか『現代好色伝』のほうが面白いのは、当然ですね。

夜はDVD。廉価版の「日本名作映画集」から、昭和12年、山中貞雄監督『人情紙風船』を観ました。

河竹黙阿弥の「髪結新三」(『梅雨小袖昔八丈』)を原作に、
江戸の長屋くらしの人々の生活が、とてもリアルに情緒深く描かれます。
浪人の妻が、最後に夫と無理心中するところは、なんとも哀しい。

黙阿弥の「髪結新三」はうちに原作がありました(『黙阿弥名作選』第二巻)。
映画のあとに書棚から本を出して、今度、読もうと、ぱらぱらとめくる時間は楽しいのでした。

夕方から、京都文化博物館へ。「映像ホール」で、
昭和三十一年の市川昆監督『日本橋』を観てきました。

この映画、いうまでもなく泉鏡花が原作。主演の山本富士子と淡島千景が、
対照的な日本橋芸者に。そして若い若尾文子が「お酌」(京都でいえば舞妓さん)の役。

日本橋の風景や、路地の細道はすべてセット。それが逆に、この映画をへんなリアズムではない、
なんというか鏡花の芝居じみた雰囲気をかもし出してくれて、とてもよかった。
鏡花の世界を近代的なリアリズムで撮ったら、とても見られたものではなかですから…。

夜は、仕事を終えて、お楽しみ映画。坂東玉三郎監督。吉永小百合主演『夢の女』。
一九九二年の作品です。中古のビデオ屋さんで入手しました。

この映画、原作はいうまでもなく永井荷風の「夢の女」。深川の州崎にあった遊郭が舞台。
ヒロインはそこの花魁です。内容はまさに人情本の世界ですが、
なによりも海辺に立てられた遊郭の情景が見事に再現されています。

全編、あえて白黒映像。暗い海辺に立っているヒロインの姿がなんともいい。
これを観ると、吉永小百合って、いい女優だったんだと再認識させられます。
そして荷風の世界を見事に映像化した、監督の玉三郎はやっぱりすごい。

ただし荷風の原作は、まだ二十代初期に書かれたのもの。
どちらかといえばゾラ風の自然主義時代の作品。
後の荷風の「江戸趣味」の人情本的情緒とは違うのですが、
映画は、後の荷風のイメージを映像化したという感じですね。

じつはこの映画、公開当時に劇場で観たのですが、
なんかそのときは荷風の世界とは違う、みたいに思えて、あまりいい印象はなかった。

でも今回、あらためて観て、けっこうこの映画好きになりました。
きっと繰り返し見る映画のひとつになるでしよう。

午後、初めてくたくたさんと一緒にロードショーの映画館に行きました。
観たのは、宮崎駿監督『崖の上のポニョ』です。

いろいろ前評判も聞いていて、そんなに期待していなかったのですが、
いゃ〜、久しぶりに楽しめる宮崎アニメでした。

ストーリーは、人魚(半漁人?)のポニョが、宗介少年と出会って、
「人間」になる話、とまとめればそれまでですが、ともかく「この場面が好き」「もう一度このシーンが見たくなる」という、
一番、映画らしい映画です。

好きな場面は、魚の大群に乗っかって、
ポニョが「宗介んとこイク〜」と走ってくるところ(くたくたさんは護法童子みたいと喜んでいた)。

そして朝起きると、家の周りがすべて海になっていて、
蝋燭で動くおもちゃの船のふたりが乗って、古代魚たちが泳ぎまわる海を旅するところ。
あのシーンは、もっと、もっと見たかった。

しかし、ポニュが魔法の力を失い、人間になって宗介と暮らすという結末、
そして原始の海になった町に、救助のヘリコプターやらが飛んできて、とたんに、
たんなる「水害」になってしまうという結末は、宮崎アニメが、
やっぱり「神話が終わった世界」しか描けなくなったことを示しています。

だから結末はまったく気に入らないのですが、そうしたストーリーをこえて、
海に沈んだ町が、まるで天地創世の始元の海みたいになっていく、
その「心地よさ」は、宮崎アニメの真骨頂という感じがします。

それにしても、朝起きてみたら、まわりがすべて海になっている、
というイメージは、なんか夢に出てきそうです。

夜はDVD鑑賞。昨夜は横山博人監督『卍』。

当然、谷崎原作ですが、小説とはまったく違う世界を作り出しています。
今夜は五社英雄監督『女殺油地獄』。原作は近松です。いかにも五社英雄らしい「情念の世界」。

そしてどちらも主演は樋口可南子。最近は気のいいお母さん役ですが、
若いときの樋口可南子は凄い。『卍』では、大阪弁で啖呵を切る「悪女」を演じます。ちなみに、これは「成人指定」です。

授業のあと、文化博物館へ。くたくたさんと合流して、
博物館の映像ホールで「文化映画特集」を鑑賞。

本日の公開作品は、「古典雅楽器」と「京舞・四世 井上八千代」。
前編は笙や篳篥が作られていく職人さんの工房のドキュメント。
ほとんど「プラモデル」作っているみたいな細かさです。

後編は祗園甲部の芸舞妓さんの「舞い」の師匠すじである井上流、
先代八千代さんのドキュメント。昭和53年のものです。四世・八千代さんは、
そのときもうかなりの老年ですが、かなりしっかりとした舞い姿には驚き。

京舞のなかに「能」の所作が取り込まれていることは知っていましたが、
さらに文楽の人形浄瑠璃の型も採り入れていることは初めて知りました。
ちょっと前の頃の「都をどり」の場面やら、芸舞妓さんの稽古姿なども映されました。

映画では、現在の五世・八千代さんの学生時代の姿も登場。
少々、祗園界隈に「縁」があるくたくたさんは、その姿を見て大喜び。
五世の襲名披露の舞を見たのだそうです。