日記のなかの文学たち
永井荷風編
往復の車中は、読書です。ずっと荷風の『断腸亭日乗』読んでいました。
この日記、もう何度読んだことでしょう。でも読むたびに新しい発見や楽しみがあって、
何度読んでも面白い。大正時代の東京の花柳界のこととか、
荷風が愛読するフランスの小説とか、日常の食べ物のこととか、ほんと話題がつきない。
帰りは、《老舗の味「東京弁当」》という駅弁を買いました。
お値段はちょっと高めですが、「浅草今半の牛肉たけのこ」とか
「人形町・魚久の鮭の粕漬け」とか「築地・すし玉青木の玉子焼き」とかの老舗の味が少しずつ入っていて、
これを食べながらビールを飲み、荷風の日記を読むというのは、けっこういい感じです。疲れも多少和らぐかも。
*
今日は、ゴロゴロと家のなかで休日。
居間の椅子に腰掛けて、お楽しみ系読書です。
加太宏邦『荷風のリヨン』(白水社)。
この本、荷風の『ふらんす物語』の〈注釈〉ということですが、
若き荷風が銀行員として住んでいたリヨンの街について、
下宿はどこなのか、下宿の女将さんはどんな人なのか、
散歩したコースの道筋は…といったことを考証していく、まさに〈荷風おたく〉の本です。
荷風が住んでいた百年前のリヨンは、現在と番地や建物が変わっていないのだそうです。
それで当時の「国勢調査」の資料や「電話帳」みたいな資料を調べると、
百年前の荷風の住んでいた建物とかもわかってくるのです。
また、当時は日常風景を写した「絵はがき」がたくさん作られていて、
それも参考資料となるのでした。なんとも驚きです。
ちなみに荷風についての書物は、こういう〈おたく系〉が多いですね。
川村三郎『荷風と東京』(都市出版)は、『断腸亭日乗・私注』と副題がつく本ですが、
これも「荷風と東京」への思い入れたっぷりの一冊。
荷風の愛読者ってみんな〈荷風おたく〉になるみたいです。僕はまだまだ素人です。
深夜、お昼の余ったサンドイッチとウイスキー飲みながら、
『ふらんす物語』再読。「霧の夜」「ローン河のほとり」「雲」…。
ふと気がついたら雨が降り出しました。
*
そしてもう一つの「気休め」。寝る前に、軽くウイスキー飲みながら、
荷風の随筆。明治四十四年頃の、荷風が慶応大学の先生やっていた頃の随筆。
後に『紅茶の後』と題された文章たちです。
*
入浴後、深夜二時まで原稿仕事。
そのあとは、今夜はすっきり眠れるように、軽くウイスキーを一杯。
飲みながら、荷風が大正時代に京都に遊びに来たときの随筆を読みました。
「悪口」が得意な荷風にはめずらしく、京都を絶賛しているのでした。
*
本日は休日のお楽しみ読書。先日買ってきた新刊、
半藤一利『荷風さんの戦後』(筑摩書房)読みました。
居間の椅子に腰掛け、そのうちはベッドに寝転びながらの読書。
途中うつらうつらとしたりして、ほんと休日気分いっぱいです。
半藤さんの荷風本は初めて読みましたが、
例によって、すごいマニアックな本です。
荷風ファンにはとても楽しい。一日で、あっというまに読み終えてしまいました。
荷風の戦後は、空襲で焼け出され、岡山への疎開、
そして終戦後は千葉の市川に隠遁するみたいなところから始まります。
しばらくは市川から外に出ることなく、戦争が終わって三年目ではじめて東京に出かけるのですが、
最初に訪れたのが浅草のストリップ劇場というのが、さすが荷風です。
夜は、荷風の日記『断腸亭日乗』(岩波書店)の昭和十年代のところをぱらぱらと読みました。
昭和十六年十二月九日、「太平洋戦争」開戦のところをみると、
「開戦の号外出でゝより近隣物静になり来訪者もなければ半日心安く午睡することを得たり。
夜小説執筆。雨聲瀟々たり」。戦争なんて無視するような、なんとも見事な記述。
また昭和十五年では、銀座の辻で「愛国婦人連」が
「ぜいたくは敵だ」という例の有名なスローガンのビラを配布しているとき、
荷風が贔屓にしている新橋演舞場に出る踊子たちが、
まるで「広告の引札」でももらったように喜んでいる情景を描きます。
そんな「何も考えていない」みたいな踊子たちのことを、荷風はとってもいとおしそうに眺めるのです。
「国民」全体が戦争にむかって「盛り上がっていく」昭和十年代の前半、
それとはまるで無関係に生きている踊子や芸人たち、
カフェの女給たちを荷風は愛しているんですね。
それにしても、「太平洋戦争」とは、米・英・蘭を敵に回したわけですから、
「国民」の心情の根底にあるのは幕末の「攘夷戦争」の延長だった…。
ちなみに荷風は、「尊王攘夷」の志士たちの生き残りが作った明治政府=東京を、
「薩長の田舎人」が作ったものと軽蔑していたのでした。荷風は江戸っ子です。
*
就寝前、昭和二年あたりの荷風の日記を再読。
戦争前の、とてもうつくしい「東京」の姿が出てきます。
*
帰りの新幹線は、例によって、駅弁・ビール。
そして荷風の日記。昭和二年、荷風がめずらしく軽井沢に「避暑」にいくところ、
昭和初年の軽井沢って、ほんとに上流階級の避暑地だったんですね。いや面白い。
*
周りはとても静か。深夜、持参のウイスキーをちびちび飲みながら読書。
松本哉『永井荷風という生き方』(集英社新書)。こんな小旅行の夜にふさわしい一冊でした。
*
夜は、こたつの近くにある『荷風全集』をふと手にとって、
「春雨の夜」「写況雑記」(全集・第十四巻)をぱらぱらと読みました。
やはり、荷風は冬の寒い深夜にこたつに入って、ウイスキーなどもちびちび飲みながら読むのがいいです。
『断腸亭日乗』昭和三年正月二十二日の状に、
「正午起き出で食事して後炬燵に寝そべりうつらうつらとする程に小窓の障子いつか暗くなりぬ」なんていう一節があります。
これは荷風の生涯の「恋人」であるお歌さんの「壺中庵」での一場面。
*
大学仕事を終え、夕方帰宅したら、「日本の古本屋」で注文した『荷風随筆』(岩波書店)が届いていました。
全五巻のうち、二冊分が抜けていたのですが、全巻で買ったほうが安かったのでした。
夕ご飯まで、炬燵で第一巻所収の「大窪だより」を読みました。大正二年の「日記」です。
『断腸亭日乗』の先蹤をなすもの。
深夜、原稿仕事のあとに、おにぎりにしたひじきご飯と蕪の漬物をつまみにウイスキー飲みながら、
「大窪だより」の続きを読みました。
*
入浴後、夜中は原稿仕事。二時まで。
それから炬燵で一杯飲みながら、荷風の日記を読みました。
『断腸亭日乗』(岩波書店)の第二巻。昭和三年、
荷風が愛妾のお歌さんに、三番町に待合を出させた頃です。
夕方になると荷風もその待合に出かけ、帳場の長火鉢で夕食を食べたり、
泊まって寝坊した朝方、抱えの半玉の娘に起こされ、
連れ立って「洗湯」に出かけたり、二階の部屋に寝そべって往来の人を眺めたり、
向いの妓家で端唄の稽古をしているのを覗いたり、
芸妓たちが、浅草伝法院の御狸さまや二七不動尊の稲荷に願懸してきた話を帳場で聞いたりする場面が続きます。
荷風曰く「新聞紙は日々共産党員検挙の事件を報道する時、
待合の帳場に来りて妓女が願懸のはなしを聞けば、
この身は忽然天保のむかしに在るが如き心地とはなるなり」。
荷風の「江戸趣味」が実現された、面白い時期なのですが、
じつはこの頃の荷風は作家としてスランプに陥り、小説、随筆もまったく書けなくなっている時期でもありました。
「我が文墨の生涯もこの春を名残にして終を告るにいたりしならむ歟」などと心細い一節も。
でも、創作意欲は減退したのに、食欲はまったく衰えないと書くところは笑えます。
*
お風呂に入ってから、ひとり冷たい黒豆麦茶とウイスキーをちびちび飲みながら、お楽しみ読書。
荷風の『すみだ川』(岩波書店・荷風小説 三巻)。
もう何度目かはわからないぐらい、読み返しては楽しんでいる小説です。しかし何度読んでも面白い。
たしかに小説の筋とか、人物の描き方とは類型的で、深みとかはないのですが、
この小説の主眼は、あくまでも明治二十年代の東京、隅田川周辺の風景を描くことにあるのでした。
人物たちもそんな風景のひとつぐらいでしかない。
たとえば小説の冒頭場面―。「夕方になると竹垣の朝顔のからんだ勝手口で行水をつかつた後其のまゝ
真裸体で晩酌を傾けやつとの事膳を離れると、夏の黄昏も家々で焚く蚊遣の烟と共にいつか夜となり、
盆栽を並べた窓の外の往来には簾越し下駄の音職人の鼻唄人の話声がにぎやかに聞こえ出す」
ここに描かれているのは、明治前期の下町の風景ですが、たぶんそれはどこにも存在しない、
荷風が作った「箱庭」「盆栽」みたいな理想の世界なのでしよう。その盆栽を鑑賞し、
楽しむことが、なによりも荷風の小説を楽しむことなのでしよう。
その盆栽の美しさを楽しむという気持ちにとって、
人物たちの「内面」とか「苦悩」とかは、なんかよけいなことのように感じてしまいます。
だから人物の内面的なことがだらだらと書かれていると、とたんに面白さが減退してしまうのでした。
そういう意味では、荷風は小説よりも随筆、
さらに随筆よりも「日記」が一番面白いのでした。
*
いま、炬燵の上には『断腸亭日乗』が置いてあります。
食事をしたあと、ちょっとした気分転換とかに、読みかけのページを開いて、少しずつ読んでいます。
いまは昭和三年から四年にかけてのところ。スランプ中の荷風の時代です。
この時代の荷風は、昼間は自宅で文選や淮南子、論語などの漢籍を読み、
夜になるとお歌さんに開かせた待合にでかけ、そこで妓女たちとの会話を楽しんでいる場面が続きます。
待合の帳場は、昭和の時代を離れて、「江戸」の昔にタイムスリップするための装置のようなもの。
まさしく「江戸趣味」の荷風です。
ただそのときの「江戸」は、「天保」の時代、つまり幕末のころのイメージです。
動乱の幕末の、そんな時代の動きとは無関係に春画や戯作を書いている画工や戯作者たちに、
自分の作家としての立場を近づけよう、という荷風の主張はよく知られていますが、
『断腸亭日乗』とは、まさしくその実践の記録なのでしよう。
日記を読んでいると、荷風がどんなふうに「幕末」「維新」を捉えているのかが、
具体的にわかってくる気がします。
『断腸亭日乗』も、もう何度かめの再読ですが、
今回はそんな荷風の幕末論として読む楽しみを発見。
もちろん、『断腸亭日乗』を読むのは、僕にとって、なによりも精神衛生上、とてもいいのでした。
*
追儺狂言のあとは、上七軒の舞芸妓さんたちによる「日本舞踏」の奉納。
けっこう近くから舞妓さんたちの舞いが見られて、感激。最近ブログで評判の市まめさんも登場。
「ナマ市まめ」を見た! 舞いのあとは、茂山社中、芸舞妓さんたちによる豆まき。
さっきまで、真剣な顔で舞っていた舞妓さんたちが、豆まくときは普通の女の子の笑顔になっていたのでした。
上七軒の「芸妓組合」の建物に張ってある「おばけ」のポスターを眺め、てくてく歩いて「千本釈迦堂」へ。
始まるまで時間があったので、近くの町家喫茶店に入って、休憩。
炬燵に入って、暖かいコーヒー飲んで、ぬくもりました。
部屋の窓の外はすぐ道で、人々が往来していく様子が部屋にも伝わってくるのが、なんか昔の家って感じです。
釈迦堂の「お亀福節分供養」は、山伏さんのお練りからはじまり、本格的。
こちらも茂山社中による、追儺狂言がありましたが、北野にくらべると、ずいぶん崩れた形。
それに豆まきには、政治家やら会社社長やらの宣伝が入って、興ざめ。
こういうのを、荷風は「唾棄すべき」仕業と呼ぶわけです。
可憐な「妓女」たちの豆まきこそが、「過去の世に逍遥せん事」にふさわしいのでしよう。
「此夜節分なれば四鄰の妓家豆まきて賑やかなり」(『断腸亭日乗』昭和四年二月初三)
*
今日は日曜日なので、一日ぐらいは「趣味系」読書をということで、
午後からは永井荷風『下谷叢話』を読み始めました。
『荷風随筆』(岩波書店)版で読もうとしたのですが、
難解な漢字と漢詩が頻出するので、ルビや注、漢詩の訓読文がついている岩波文庫版で読みました。
この作品は、荷風の外祖父にあたる鷲津家の鷲津毅堂や鷲津氏の族人である大沼竹渓、枕山ら、
江戸末期の漢詩人・儒者たちの「史伝」です。
荷風が敬愛する森鴎外の『渋江抽斎』の影響から執筆したことは、「文学史」上、有名。
ところで荷風の『下谷叢話』が描く儒者たちの時代とは、天保から慶応への幕末の動乱期、
そして明治初年にあたります。幕末に、時代の潮流に背をむけて「詩作」に生きた人々の姿が描かれていくわけです。
「幕末」なのに、ここには吉田松陰も、新撰組も、坂本竜馬も出てきません。
でも、これもまた「幕末」なのです。まさしく荷風の「幕末・維新論」として読むことができるわけです。
*
本日も、一日、家にこもって読書。荷風『下谷叢話』の続き。漢詩が多いので、読むのに骨がおれます。
並行して、前田愛司会による座談会形式の『幕末の文学』(学生社)を読み終えました。
この本、1977年に出たもので、すでに通読していたのですが、
ほとんどその頃の「記憶」はありません。本に傍線が引いてあったので、読んだことを思い返した…。
それにしても、文学史においては、「幕末の文学」という視点は、その後どれぐらい「市民権」を得たのでしようか。
近世文学でなく、近代文学でもない「幕末の文学」。いま、あらためて読むと、
いろんな新しい発見や示唆されることが多い本です。
たとえば『下谷叢話』に出てくる、「佐幕派」の詩人たちの世界と、
「尊攘派」の松蔭たちや、あるいは「水戸学」の人々との接点はどうなっているのか。
また三馬や春水たち「戯作者」たちが、その同じ時代に活動していることをどうとらえるのか。
ふつうには、それはまったく別のジャンルということになるのですが、
この本では、それらを総合する視点を「幕末の文学」として提示しようとするわけです。
そのことに関連すれば、たとえば荷風が大沼枕山や鷲津毅堂の史伝を書きつつ、
一方で戯作者への共感をもち、さらに春水の評伝も執筆するという「文学」のあり方が思い浮かびます。
荷風は、こうした「幕末の文学」の先取り…。
*
残ったポトフとワインを飲みながら、息抜き読書。
荷風の「夢」「あぢさゐ」(『荷風小説』六、岩波書店)を読みました。
昭和五年、六年に執筆したもの。ちょうど荷風が「スランプ」を抜け出しかけて、
「つゆのあとさき」などの傑作を書く直前のものです。
「あぢさゐ」は、「行末どうしやうといふ考もなく、欲もなければ世間への見得もなく…」といった、
荷風小説によく出てくる芸者と三味線弾きの男の関係を描く作品。
「夢」のほうは、荷風にはめずらしい、幻想譚っぽい内容のもの。こちらはけっこう面白い小説でした。
*
仕事が終わった開放感で、ひとりでランチ。お土居を散歩しながら、しょうざんの喫茶店へ。
お客は老人ばかりのテラスで、冬枯れの景色を眺めながら、ゆっくりご飯食べました。
食後は、持ってきた荷風の『珊瑚集』(岩波文庫)をぱらぱらと開きながらコーヒー。
「仏蘭西近代抒情詩選」。文語体・擬古文で訳されたフランス近代詩というのは、なんとも不思議な世界です。
北山にあるしょうざんは、まったくの「冬景色」。ここはまだまだ冬真っ最中という感じ。
でも葉がきれいに落ちた木々は、それはそれで美しいのでした。
*
芝居のあとは、セントジェームスへ。カウンターに座って、久しぶりにボウモアを二杯。
歌舞伎見物のあとに、歩いてバーに入り、夜の川を眺めながらお酒が飲めるって、やっぱり京都はいい。
ほろ酔いで外に出たら、雨が降ったあとが。春の雨のようです。
芝居のあとの雨って、これはなんか荷風の世界みたい。
帰宅後、寝る前にちょっとウイスキー飲みつつ、
荷風の『江戸芸術論』の「江戸演劇の特徴」を読みました。
その一節。「余は江戸演劇を以て所謂新しき意味に於ける「芸術」の圏外に置かん事を希望するものなり」。
なるほど、その通りです。
*
ランチのあとはコーヒー飲みながら、文庫本読書。荷風の『ふらんす物語』(岩波文庫)の「橡の落ち葉」。
パリ郊外にある墓地を訪ね、ミュッセやハイネ、ゴーチェ、モーパッサンなどの「文豪」の墓をめぐりつつ、
「連出ちし二人の若き女」との出会いや、
二人の姿を眺めながら「わが胸には、一味の幽愁、春の夜の笛の如くに流れたり」なんて一節。
繰り返し読んで楽しめる小説があることは、ほんと幸せなことだと思います。
外に出ると、まだまだ風が冷たい昼下がりなのでした。
*
外に出ると身を切るような冷たさ。久しぶりに震えるほどです。
帰宅後、お風呂に入ってから、ちょっと休息読書。
ストーブの前で、ウイスキー飲みながら、荷風の『江戸芸術論』の「浮世絵の山水画と江戸名所」。
この随筆も、もう何度か目の再読。北斎と広重の違いについて、
北斎は「美麗なる漢字の形容詞を多く用ひたる紀行文」、
広重は「こまごまと又なだらかに書流したる戯作者の文章の如し」なんていう比較の仕方は、なるほどと納得。
それを読みながら、以前、京都文化博物館でやった「北斎と広重」展の図録を眺めていました。
また浮世絵に描かれた女性像の変遷から時代の変化を分析するところはさすが。
「美人の物思はしく秋の夜の空に行雁の影を見送り、
歌麿の女が打ち連れて柔らかき提灯の光に春の夜道を歩み行くが如き」安永・天明のころの
物哀れにまで優しき風情は、嘉永・文久の浮世絵にはまったくなくなる。
その頃に描かれた女は、「いかにも捨身の自棄になりたる鋭き感情現れたり」と。
幕末の世の、何かが変わり、終わろうとする世相が浮世絵の女性像から読めるというわけです。
*
お風呂に入ってから、しばらく部屋で読書。松本哉『永井荷風の東京空間』(河出書房新社)。
松本さんのイラストがいいですね。
*
昨夜から鼻水が出て、なんとなくだるいと思っていたら、どうやら風邪みたい。
熱はないようですが、体の節々が痛い。薬を飲んで養生しました。
こういうときは、寝っ転んで小説読書。荷風が戦中に発表するあてもなく書いた二編、
「来訪者」「踊子」(『荷風小説』七 岩波書店)をベッドで横になりながら読みました。
「来訪者」は、荷風と思われる作家とその作家の「偽書」を作っていたふたりの青年の話。
青年のひとりが隣の家の若い未亡人と出来てしまい、
お岩稲荷の横町の煙草屋の二階で、隠れ住むあたりの描写がいいです。
若い未亡人は「蛇屋」の養女、下宿先の煙草屋の女将さんは須崎でおいらんだったという設定。
ふたりの逃避行が、鏡花の世界とダブらされていくのでした。
「踊子」は、浅草のレビュー劇場の踊子とバンドマンの物語。
昭和の荷風が足しげく通い、こよなく愛した浅草の芸人たちの世界が、情緒深く描かれています。
踊子とその妹、バンドマンとの三角関係がストーリーの要ですが、
なによりも戦争が激しくなる時勢のなかで、それと関係がないように暮らしている芸人たちの世界がいい。
主人公が、クラシックの音楽家になる夢を忘れて、芸人の世界に身を落とし、
いつしか「放蕩無頼」の生活を愛していくところが、戦時中の荷風の「抵抗」と重なっているのでしよう。
微熱で、頭や体がぼ〜としているときは、荷風の世界が体に馴染んでいくのでした。
まぁ、このへんうまく説明できませんが…。
*
読書の続き。荷風の「浮沈」読み終わりました。
この作品、昭和十六年十二月八日に
「日米開戦の新聞号外出でしとも知らず麻布の家にて筆とりはじめ…」って感じで書かれたもの。当然、戦中は未発表。
東京近郷の地方から出てきた女性が、最初は富豪の妻になりながら、
やがて銀座で「女給」になり、気に入らない同郷の男と再婚し、
しかしその夫から逃れて向島の芸者屋に行き、そこで茶屋を経営する弁護士の二号さんになりかけ…。
戦争で日常生活が圧迫されながら、それとは無関係な「淫乱」で、
しかしつつましい女性の暮らしぶりが、まさに荷風の世界なのでした。
戦時中の荷風小説は、あまり評価が高くないようですが、今回読んだ三篇は、けっこう好みの作品でした。
*
こういう体の調子が悪いときは、やっぱりなぜか荷風関係読書。
以前に古本屋で買って、時々拾い読みしていた秋庭太郎『永井荷風伝』(春陽堂)を通読しました。
この本、まさに荷風オタクの原点ですね。
荷風の父・永井久一郎が『来青閣詩集』を出した漢詩人であることは知っていましたが、
その漢詩作成は余暇・趣味的なものぐらいと思っていました。
しかしこの本を読んで、久一郎が「永井禾原」という漢詩人として、
明治期の漢詩文壇に重要な役割を担う存在であったことを始めて知りました。
そして久一郎の漢詩は、まさに江戸時代の儒者たちの漢詩の系譜にあるのでした。
それを知ると、なぜ荷風が江戸時代、とくに幕末の儒者詩人たちにこだわっていくのかがわかってきますね。
*
終日、お休み読書。『永井荷風伝』の続き。
大正時代の荷風が三味線を習っていることは、『断腸亭日乗』の日記に出てくるのですが、
まぁ、旦那芸みたいなものかと思っていましたが、秋庭氏の本を読むと、
清元節から一中節、さらに新内節まで、かなり本格的な習練したことがわかります。
この本には、荷風の知られざる写真も出ていますが、
そういえばなぜか荷風が三味線を弾いているところの写真は見たことがない…。
邦楽名人会などにも出演しているのですが。
*
帰宅後は、お風呂に入って、一杯ウイスキー飲みながら、荷風『夢の女』(岩波文庫)を読みました。
以前に読んだと思っていたのですが、なんか初めて読むような印象。
*
うちで見るテレビは、ほとんどがNHKのものが多いのですが、
いま、毎週楽しく見ているのは「知るを楽しむ・私のこだわり人物伝」の永井荷風シリーズです。
題して「「お一人さま」の天才」。
坪内祐三、半藤一利、坂崎重盛、持田叙子さんの面々が、毎回、自分のこだわりから、自分の「荷風」を語っていきます。
先週の半藤さんの戦中の荷風や、今週の坂崎さんの荷風の浅草歩きのことなど、
僕には「おなじみ」の話ですが、たとえば荷風の終焉の家の部屋とか机、
荷風がいつも行っていたアリゾナの店とかの映像を見せてもらえるのが、なんともうれしい。
それにみんな「荷風さん」と呼ぶのがいいですね。
たしかにいまの浅草の横丁の飲み屋とかで、
荷風さんがホッピーとかを飲んでいてもおかしくない。
歯が抜けて、いかにスケベ親父といった風情の荷風が、
裸の踊子さんたちとうれしそうに写っている写真が出てきたら、くたくたさんも大笑いして喜んでいました。
*
食後はまたまたNHK教育テレビ。「荷風さん」の最終回です。
今夜は持田叙子さんのお話。女性の荷風研究家は珍しいのですが、
持田さんの『朝寝の荷風』(人文書院)は、なかなか異色な荷風論で、面白かった印象があります。
しかしそれにしても、持田さんのお喋りはとても「ぶりっ子」でびっくり。
*
京都芸術センターの「継ぐこと・伝えること」の講座で、清元節を聴いてきました。
演者は、清元梅吉さん(四世)のお弟子さんたち。三味線も歌も女性たちです。
出し物は「明烏」と「神田祭」。講座には、お三味線のお稽古をしている老人たち、着物姿の婦人たちが聴きにきていました。
「明烏」といえば、新内節の演目が有名ですが、同じ曲を「清元節」に変えたものを聴きました。
新内のほうの女性の高い声で歌い上げる、なんとも「けれん味」のあるものにくらべて、
清元節のほうはなんだがとっても上品すぎて、ちょっと違うなぁという印象。
声が綺麗すぎて、なんか上品な奥様たちの芸という感じがして、遊女たちの世界の「いき」さが欠けるということでしようか。
二つ目の「神田祭」は、清元節の代表作。こちらは華やかな、
江戸の祭りの情緒とかが伝わってきて、よかったです。
演奏のあいまに、梅吉さんと邦楽研究家の久保田敏子さんとの掛け合いによる「解説」がありました。
四世・梅吉さんは、昔っぽい江戸っ子の芸人の雰囲気も残していて、さすが違うなぁと感じました。
久保田さんの解説は、以前に「地唄」の会でも聴きましたが、ふつうの学者とはやっぱり一味違いますね。
久保田さんの一般向けの邦楽の解説本があればいいのにと思うのですが。
ところで、四世・梅吉さんの祖父にあたる三世・清元梅吉に、荷風は弟子入りして、清元を稽古しています。
しかし、秋庭太郎の『永井荷風伝』によれば、荷風の好みは、当時の新風の傾向よりも、
清元家内太夫、喜久太夫の「昔風の節廻し」の清元が好きだったようです。
当然、いま僕なんかが聴いているのとはまったく違う清元の世界があったんでしようね。
*
このところ昼の休み時間や、夜の執筆のあとなどに、岩波文庫の『荷風随筆集 上』を拾い読みしています。
「日和下駄」がメインですが、そのほか、荷風の「江戸/東京」をめぐる随筆。
その一編「深川の散歩」に、荷風の親友(早く亡くなってしまう)井上唖々(深川夜烏)の「日記」が引用されていて、
これがほんといい。
深川の裏長屋に元芸者の阿久と棲み、その結婚祝いに、
長屋の人たちと空豆の塩茹でや胡瓜の香物を酒の肴に、
干瓢の代わりにワサビを入れた海苔巻きなどでささやかな酒宴をあげる場面。
また阿久や仕事場のおかみさんと場末の小芝居を見物に行くところでは、
清元の名取名をもつ阿久が、芝居の出語りの筋回しのまずさをけなし、
おかみさんが作ってきた寿司を食べ、芝居がはねてからは、
ふたりで蕎麦屋に入って歩いて家まで帰ってくると、もう十二時をまわっていた…なんていう、
なんということのない記事です。
荷風は、友人の井上唖々を、下町の長屋に隠れ棲み、文壇や世間とも交わらず、
超然として、独り、その好む俳諧の道に遊んでいた「江戸固有の俳人気質を伝承した真の俳人」として尊敬していたのでした。
もちろん、それは荷風が作り出した「幻想の江戸」の投影なのかもしれませんが、
荷風の「理想」が、井上唖々の日記のなかにあるのはたしかのようです。
それにしても、北風が吹いて、寒くなってくると、深夜、コタツに入って、荷風が読みたくなってくるのでした。
*
深まっていく秋の午後のお楽しみ読書といえば、もう荷風しかないですね。
ということで、暖かい日差しが差し込んでくる居間で、荷風『冷笑』(『荷風小説 三』)を読みました。
明治四十三年発表。再読です。
この小説、江戸末期の戯作、滝亭鯉丈『八笑人』をもじって、
明治の世の八人の「道楽もの」が、次々に登場してくる趣向です。
でも、出てくる人物たち、銀行の頭取で、人生に退屈したあまり八人の道楽ものを集めるオーナー役、
ヨーロッパの文学に心酔した果てに、いまは江戸の戯作に傾く小説家、
道を踏み外して、歌舞伎座の「作者」になって、下町に恋女房と隠れ棲む男、
父親と衝突して、船乗りになった男…などなど、結局登場人物たちはみんな、荷風のいろんな面が投影されているのでした。
物語中、明治の近代が「江戸」を捨て去ったために、
いかに軽薄な西洋かぶれの社会しか作れなかったかをめぐる、
荷風一流の「文明批評」が、登場人物たちの対話で繰り広げられていくのですが、
そのあたりはまだ生硬さが感じられます。
そうした議論の場面よりも、たとえば歌舞伎「作者」の中谷が、
雪の降る寒い午後、三味線が立てかけられ、絵屏風が置かれ、
友禅の帯揚げが流れだしているような、新橋の芸者屋の奥二階で、置炬燵にはいり、
肘枕をして昼寝し、目が覚めたら、これから座敷に出る芸者に着物を着せてやるという場面なんかが、好きです。
荷風自身も、結局は、そうした「花柳界」の世界そのものを描くことに、
ほんとうの「批評」があると考えて、『新橋夜話』にむかうのではないでしようか。
夜も、読書の続き。寝るまえに軽くウイスキー一杯。
荷風世界に浸ったので、思わず三弦の曲が聞きたくなって、
重森三果『四条の橋から』なんていうCDをかけました。
重森さんは、時代劇の邦楽場面の吹き替えなんかもしていますが、
基本は新内の富士松菊三郎の弟子なので、調子は新内節です。
*
前のマンションでは、居間に炬燵を置いていたのですが、
それだと部屋のスペースが炬燵で埋まってしまうので、
今の新居に移ってからは、炬燵は置かず、ホットカーペットにしました。
でも、結局、僕はカーペットの上にごろっと横になるので、
やっぱり炬燵が欲しいとか言っていたら、くたくたさんが即席炬燵を作ってくれました。
小さなテーブルを置き、その上に暖かい毛布状の布と一反の大きな風呂敷をかぶせる。
下は暖かいホットカーペットなので、けっこうぬくくなるのでした。
形も小さいので、なんとなく「置炬燵」の気分も。
というわけで、今年の冬は、即席炬燵で荷風読書です。
*
荷風『冷笑』のなかで、芸者さんに着物を着せてあげるシーンに
「帯揚」とか「帯留」とか「女はパチンを留めて…」といった表現が出てきたので、
それをくたくたさんに聞くと、昔、おばぁちゃんが「パチン」を使っていたと教えてくれました。帯留を留めるときの用具らしい。
和装にくわしい女性がいると、荷風を読むにも助かりますね。
*
本日は、終日家にこもって、お楽しみ読書。
荷風の『新橋夜話』(岩波版・荷風小説3)。もう何度かめの再読。
「風邪ごこち」「松葉巴」など、社会から降りてしまい、
新橋の芸者と暮らす男や「哥澤」の世界に入っていく主人公たちの姿は『冷笑』に連なるものですね。
途中から、『ふらんす物語』(岩波文庫版)も併読。
パリの娼婦とのやりとりを「姉さんの一番のお馴染みは誰だね」って調子で語る(「羅典街の一夜」)って、
まるで「新橋」と同じ世界みたいです。
『ふらんす物語』には、一種の「画家小説」という側面もあるようです。ちなみに荷風も、けっこううまい絵を描きますね。
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二三日まえの昼休みには、ジャズクラブの学生たちが楽しそうに演奏していました。
けっこういい音が出ています。思わずコーヒー片手にベンチに腰掛けて、彼らの演奏を聴いてしまいました。
このときの曲、よく聴くスタンダードナンバーなのですが、
どうしてもタイトルとかが思い出せない。それで家にあるCDから、記憶を呼び起こして探しみると、
『ユード・ビー・ソーナイス・トゥカム・ホーム・トゥ』でした。
うちにあったのは、ヘレンメリルが歌唱するもの。
ちょっとかすれた声が、なんか古いアメリカという雰囲気をかもし出すのでした。
こういうのを聴いていると、やっぱりアメリカ時代の荷風とかの日記や『あめりか物語』などが思い出される。
そんな雰囲気は、なんといってもリー・ワイリーですね。
そういえば、『ナイト・イン・マンハッタン』を歌うリー・ワイリーは、
ジャズ評論家の斉木克己氏にいわせると「亜米利加版永井荷風乃女」ということになるようです。
彼女の歌は、「江戸褄の格式、または長襦袢に伊達巻のあだっぽさ」ということになるのでした。
一仕事終わって、部屋でウイスキーとか飲みながら、聴くのがいいですね。
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休日。
終日、時々薄日が差し込んでくる居間の即席炬燵で読書。
午前中は秋庭太郎『永井荷風伝』(春陽堂)。大正末期ごろのエピソードを読みました。
午後は、荷風の大正十一年作の『雪解』(岩波・荷風小説5)。
築地の路地の二階の貸間に住む零落した男が、
ふとしたことで別れた妻のもとに残した娘と再会するという人情話です。
優しい娘にお酌したもらい、心地よく酔いながら、月の光のなかの夜更けの路地をふたりで歩く場面など、
何度読み返してもいいですね。
次に、昭和二年作の『かし間の女』(岩波・荷風小説5)。
お妾や私娼などの「裏の稼ぎ」をしながら、次々に男を渡り歩いていく菊子が主人公。
人情物の『雪解』にたいして、こちらは、とてもクールでリアルな世界という感じですが、
物語中に「大震災」の場面が描かれています。
やはり震災を前後して、荷風の作風が変わっていったことがわかります。
それは震災によって、東京の生活ぶり、風俗、人びとの意識などもガラッと変わってしまうということを反映しているのでしよう。
社会の底辺、裏社会の私娼たちの世界を描きながら、しかし荷風はしっかりと「時代」を写し取るのでした。
そして、男を渡り歩く菊子には、けっして憎めない、なんか愛らしさが伝わってくるのでした。
作者が、そうした「裏社会」に、じつは深い愛情をもっているからなのしよう。
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夜中は、残ったポトフをおつまみにウイスキーを一杯飲みながら、荷風日記。
昭和八年の頃の部分ですが、八月には東京で「第一回関東地方防空大演習」が始まります。
荷風の日記では、「防空演習を見むとて銀座通の表裏いづこも人出おびただしく、
在郷軍人青年団其他弥次馬いづれもお祭り騒ぎの景気なり」とあって、
まだその頃は、「空襲」ということにもリアリティがない国民の姿が見えます。
まぁ、こういう「国民」が、戦争を後押ししていくというのも、荷風はするどく見抜いているようです。
また銀座のカフェのあちこちに「神武天皇紀元何年」と書かれたポスターや
「楠正成とも見ゆる鎧武者の看板絵」が出されるのをみて
「東京の市民はカツフエーの掲示によりて始めて日本建国の由来を教らるゝやの観あり。
滑稽の至と謂ふべし」と皮肉っています。
なんだか、こういう荷風の口ぶりを読むと、ホッとするのですね。
ちなみに大正から昭和初期の国民がいかに日本の歴史=建国の由来に無知であったかは、
先日読んだ長谷川氏の『「皇国史観」という問題』にも、詳しく述べられています。
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夜の執筆仕事は、そこそこで切り上げて、お楽しみ読書。
ウイスキー飲みながら、荷風の『断腸亭日乗』。昭和八年のところ。
この時期の荷風は、昼間は家で江戸末期の儒者の日記やロシア海軍将官の日本紀行を読み、
夜になると毎晩、七時ぐらいに銀座に出て、洋食屋で夕食をとり、
そのあとは気の合う仲間と喫茶店で落ち合い、
十二時ぐらいになるとお汁粉屋みたいなところに繰り出して、
カフェの女給たちと談笑し、帰宅するのは深夜二時になるといった日々が続いています。
さらに一週間に一度、二度ぐらいは芝浦の某所で、私娼の女性と密会を重ねています。
このときの荷風の年齢は五十五歳。ある意味ですごい。
昭和八年は「5・15事件」の翌年、日本がまさに戦争へと向かっていく時代です。
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日曜日です。
お昼ご飯のあと、ふたりで近所の北野天満宮へ。本日は「初天神」。
境内のまわりの道は、古着、骨董などの露天がずら〜と並んでいます。
狭い道は人で通れないほど。天神さんの市をしっかり眺めるのは、初めてです。
執筆仕事はお休みで、夜は荷風日記の続きを読んで過ごしました。
そういえば、荷風も縁日とかを散策するのが好きですね。
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午後、家に帰ってから通販で買った雑誌の『荷風!』をぱらぱら。
それにしても、荷風の名前がついた雑誌とはすごいですね。まさに荷風オタクが作った雑誌です。
最新号は「江戸を旅する」が特集。
荷風の作品や日記に出てくる「江戸」の面影を残した場所についてのエッセイが満載です。
書いているのはフリーのライターさんのようですが、みんなかなりの荷風通です。
面白いのは、そんなエッセーの風景写真のあちこちに、
こうもり傘を杖にして、貯金通帳が入った小さな鞄を手にもった、
ちょっとしかめっ面した荷風のミニチュア人形が出てくるところ。
また「荷風のいる風景」という連載では、ジオラマで作られた「昭和」の模型のなかに、
やはり荷風の人形が…。小船が浮かんだ裏路地の船宿の船着場に、荷風が立っています。
小船のなかには、色っぽい姐さんの艶姿も。
これは笑えるというか、この人形は売っていないのかと、真剣に欲しくなってしまいますね。
ちなみに、そのジオラマは青梅市にある「昭和幻燈館」で展示されているそうです。
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先日、紹介した『荷風!』という雑誌で知った、
山本高樹氏の『昭和ヂオラマ館』を通販で購入。表紙の帯のコピー「荷風先生も吃驚!」
精密に作られた銀座、神保町の古書街、
新宿ゴールデン街、向島・玉の井、本郷の路地奥、青梅のキネマ館と芸者の置屋などなど。
「昭和」の懐かしい風景がヂオラマで再現されています。
しかし、なんといってもこれがいいのは、そんな風景の要所、要所にかならず荷風が、例の散歩姿で立っているのです。
もっとも新宿ゴールデン街なんかは70年代の設定などで、
当然、荷風はそこにはいないのですが、なぜかそんな時間も超越して、
山本氏が作り出す「昭和」の風景は、荷風にぴったり合うのです。
ということで、この写真集、くたくたさんにも大受け。
彼女も面白がって、あちこちの風景に見入っています。
それについて僕が解説する、なんていうのが、「夫婦の会話」になっています。
ともあれ、この写真集、荷風ファンにはお勧めです。
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食後はテレビで各地のジャズ喫茶を紹介する番組を観ました。
今回、紹介されたのは、東京新宿のジャズ喫茶の老舗「DUG」。
まったく忘れていましたけど、煉瓦作りの店のなかが映されたとき、むかしよくここに行ったことを思い出しました。
雨が降っている夜、「DUG」で、ジャズ聴きながらビール飲んで、ピザを食べたこと。
僕の席の近くで「わけあり風」の若い女性と中年の男性がひそひそ話しをしていたこととか…。
そういえば、「DUG」の店や、ジャズのことをいろいろ教えてくれたのが、
その頃通っていた法政のゼミで知り合ったKくんでした。
ゼミは阪下圭八先生の古事記ゼミ。Kくんも、僕もゼミのなかでは普通の学生よりも年を取っていて「変人」だったので、
なんか妙に気が合って、よく彼の下宿にも遊びにいきました。
Kくんは、熱烈な荷風ファンで、『断腸亭日乗』を愛読。
僕が荷風を読むようになったのは、思い出せば、彼の影響なのでした。また彼は、宣長の古事記伝も熟読していて、
六国史も通読してしまうといった人物。でも、べつに研究して論文書こうという気持ちはまったくなく、
まさに「文人」というか、「趣味人」というか…。
彼の下宿に泊まりにいくと、自らお米をといで、なかなか美味しい料理を作ってくれるのでした。
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そして執筆仕事のあと、荷風などをこっそり読むことも…。
最近は、もう何度読み返したかはわからない『濹東綺譚』。ほんとに読めば読むほど、「味」が出てくる小説ですね。
荷風は、長いスランプの苦しみの果てに、この作品を手に入れたわけで、
作者自身の作品にたいする慈しみみたいなものさえ感じます。
その「慈しみ」を作者とともに共有するのが、荷風ファンの醍醐味ですね。
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お昼ご飯のあとの休憩には、新藤兼人『『断腸亭日乗』を読む』(岩波書店)を読みました。
「終戦」の日前後の荷風と谷崎との邂逅、そしてふたりの作家の違いが、
それぞれの日記の対比から描かれていくところはなかなか面白いです。
新藤さんは、八十歳の現役の映画監督。新藤監督の映画『濹東綺譚』はまだ見ていないのですが
(どうも内容がキワモノっぽくて見る気がしなかった)、この本読んだら、ちょっと見たくなってきました。
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久しぶりに居間で、ごろごろしながら、休日読書を楽しみました。
最近出たばかりの岩波文庫版・佐藤春夫『小説永井荷風伝』。
佐藤春夫が、荷風の「弟子」を自認しているのは知っていましたが、
慶応大学で荷風の研究室にいたこと、戦争時代、荷風の「偏奇館」に出入り自由ぐらいの交際があったことなど、
しかし佐藤が「従軍作家」の仕事についたために荷風から遠ざけられたことなど、知らないことが続々と出てきます。
とくに慶応時代は、大学の先生としての荷風の姿が活き活きと描かれています。
学生を誘って一緒にお茶飲んでも、彼はぜったいに奢ったりしない。
「奢る」というのは、社会的に低い階層のやることだ…とか。
また愛人の八重次と同じ車で大学にやってきて、
彼女をそのまま車のなかに待たせ、講義が終わるとふたたび同車して、どこかに消えていったとか…。
そんな「ゴシップネタ」の話題とともに、佐藤春夫の「客観的」な荷風論も織り交ぜられていて、なかなか楽しめる一冊でした。
このところ、原稿仕事が追い込み状態なので、お楽しみ読書をするゆとりがなかったので、
なんだがとても贅沢な一日の気分です。
やっぱり休日は、居間とかでごろごろしながら、涼しい風に吹かれて、気ままに面白い本を読むというのが、必要ですね。
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食後に、録画したテレビ番組を見ました。荷風と谷崎の文学世界を「食」という視点から描いたドキュメント。
『食は文学にあり』。1999年放送の再放送です。
「終戦」の二日前に、荷風は疎開先から、同じく疎開していた津山の谷崎のもとを訪ねる。
家を焼かれて、文字どおり「着の身着のまま」の状態の荷風を谷崎は暖かくもてなす。
そして翌日、谷崎は特別に牛肉が手に入ったと、夜、ふたりで「すき焼き」を食べるのでした。
番組では、そのときのシーンを荷風研究者でもある半藤一利と嵐山光三郎のふたりで、
当時谷崎が住んでいた家のなかで「復元」します。そのすき焼きのおいしそうなこと…。
さらに翌日、すなわち終戦の「玉音放送」がある日。谷崎のもとを去った荷風は、
勝山に向かう汽車のなかで、谷崎の妻・松子さんが作ってくれた白米のむすびに昆布佃煮と添えられた牛肉を食べ、
「欣喜措く能はず」と喜ぶのでした。
番組では、谷崎は死ぬ直前まで「美食」への欲求を棄てず、一方、荷風のほうは、
晩年は、有名な、毎日同じ「カツどん」ばかりを食べていたというエピソードから、
戦後も貪欲にあたらしい小説を書き続けていく谷崎と、戦後は浅草通いをしても、
小説としてはほとんど書けなくなってしまう荷風との違いを語っていきます。
たしかに荷風が戦後直後に発表して大ヒットしたものは、すべて戦中に、ひそかに書いていた作品。
戦後に書いた新作は、唯一『葛飾土産』といった随筆ぐらい。
まさに荷風は枯れてしまうのでした。その違いをふたりの「食」にたいする違いから語るところは、なるほどと面白い。
さらにいえば、荷風はお金を持ちながら、戦後はバラックみたいな家に住んでいたというのも、
やはり偏奇館を失ったあとは、もう死んだも同然という境地のあらわれでしよう。
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